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 今回は、大工道具のひとつ「玄翁」について 鑿と釘との三角関係の事なども含め トコトン考えてみようと思います。いつ頃から道具の世界で飯を食っているのか。鑿との出会いのきっかけは。釘とはどのようにして交際を始めたのか。本当のところ、君はどっちを好きなのか。など質問は、つきませんが、今日は時間の許す限りそれらの疑問を一つ一つ明白にしてみたいと思います。 時間がもったいないので 早速本題に入りましょう。    

  そもそも玄翁って何ですか。・・・・・ あまりにも当たり前な質問にしばし言葉を失ってしまいます。当然知らない人だっているはずです。「玄翁」という言葉がわかりにくければ、トンカチ 金槌といったりもします。太さ1.5cmから4cm(ものによっては、もっと太いものもある。)長さが4cmから8cm(ものによっては、もっと長いものもある。)の鉄の塊のまん中に長さ30cm程度の棒が直角に取り付けられた道具である。何に使うのかというと、鑿を叩いたり、釘を打ったりします。たまに大工さんが 凝った肩をぽんぽんと叩いたりもします。私は、子供の頃(田舎は、兵庫県の瀬戸内)、お手伝いで干物のカレイやサヨリを石の上で叩いて柔らかくしたりもしました。(玄翁で叩いた干物は、軽くあぶって酢醤油をつけて食べます。)映画にも小道具で出演しています。1990年のアメリカ映画「推定無罪」では、外国製のちょっと形の違うタイプが最後のシーンで登場します。このときは、悪役でした。邦画では、1962年の市川昆監督の「私は、二才」という映画に ノコギリや釘と一緒に出演しているのが印象に残っています。ゴクゴク普通の日常を描いた映画の中で ゴクゴク普通に大工道具が使われている映画です。テレビでも サスペンスドラマなんかに一昔前なら割と出演していたような気がします。サスペンスの場合、役柄は悪役の方が多いようです。最近のドラマでは、突然玄翁が出てきても あまり絵にならないのか、見かけません。クリスタルガラスの花瓶なんかの方が絵になるみたいです。

 さて、話がそれていきそうなので ちょっとまとめましょう。先ほどのクリスタルガラスの花瓶の話も考え合わせると 玄翁とは、硬くて重いものということですね。じゃあ、クリスタルガラスの花瓶で 釘を打つとどうなるか。運が良ければ、釘が打てる。しかし普通は花瓶が割れる。そんなことでは 定義として不的確です。では、「硬くて重くて ものに当てる部分は、壊れないもの。それでものを叩くと 重さとスピードのエネルギーがものに伝わりそれらが仕事をする。」と、こういうことですね。まあそう言うことにして話を進めていきましょう。
 玄翁ってなぜそう言う呼び名なんだろう。「木槌」なら 木の槌で「木槌」です。だから本来なら「金属」の槌で「金槌」ということになるのですが、「金槌」以外に「玄翁」とも呼ぶのです。木槌や金槌とは別格に 「玄翁」という名前が付くぐらいこの道具は、何か特別なものを背負っているに違い在りません。早速その由来をインターネットで検索してみました。その結果、次の事が判明しました。「玄翁」とは、曹洞宗のお坊さんのことのようです。そして、そのお坊さんは、二人いるようです。一人は、字も「玄翁」と書き、伊豆の玄通寺の開祖。もう一人は、「源翁」と書き結城の安穏寺という寺の開祖です。どちらのお坊さんも那須(栃木県)にあった殺生石という悪いことをする石を 金槌で叩き割って悪いことが起きなくなったというので、そのお坊さんの偉業を称え金槌を「玄翁」と呼ぶようになった。ということである。嘘か本当か知らないけれど、頻繁に使う道具に人の名前を付けるなんてことは 人類が存在する限りその名前が残ることになり なんだか とてもすごいことですね。どんな時代にも物好きがいて、「何でこの名前なんだ?」と疑問に思い、辞書をひいたり、インターネットで検索したりして調べるわけです。そして、今回のように「玄翁」というお坊さんを知ることになる訳だから。
 さて、このお坊さんが生きた時代が14世紀のことなので それ以前 玄翁は「玄翁」とは呼んでいなかったことになるはずです。では、何と呼んでいたのか。どうやら「槌」らしい。頭が木の槌は、「木槌」。頭が金属の槌は「金槌」らしい。なぜなら、インターネット上で「玄翁和尚が、金槌で叩いた。」と説明されているからです。あ、ちょっと時間が巻いてます。次へ行きましょう。

 とにかく日本書紀や古事記にこの道具に関する記述が在ろうと無かろうと この道具の起源または原形がすでに存在したことは 間違いない。こういった機能の単純な道具は、その起源や原形を一つに特定するには無理があります。しかしその原形は、木や石、あるいはマンモスの角だったりするのではないでしょうか。要するに「硬くて重くて 手に持てるようになっていて 叩くための道具。」なのですから。最初の原人が最初に手にした道具だという可能性もあり得るのです。さあ、イメージしてください。原人が川で貝を採ったとする。まず口に入れて噛んでみるが 硬くて砕けない。次に何をしたでしょう。貝を石の上に置き 他の石を拾ってその貝を叩いたのです。その石こそ、玄翁の原形に違いありません。玄翁の原形は まさに原人が生きた石器時代にあるのです。しかし、現在日本では、その原形を追求しかねる事態が発生してしまいました。例の「旧石器発掘ねつ造問題」です。このため、玄翁の原形が石なのか、マンモスの角なのか。単なる棒切れだったのか。すべては、宙に浮いた状態です。これまで信じられて来た歴史的考古学的通説的な玄翁の在り方が白紙になってしまったのです。従ってこれ以上の玄翁の原形に対する言及は、避けた方がよいでしょう。「はじめ人間ギャートルズ」の作者もおそらく今 内容変更に追われていることと思います。

 歴史的考古学的な内容で少し話が堅くなったので すこし話を柔らかいほうへ向けてみみましょう。お待ちかね。玄翁の「三角関係の真相」です。
「釘と付き合っているのか。」
「鑿と付き合っているのか。」
「やったのか。やってないのか。」というような問題について考えて行きましょう。
  今回は、この問題に重要な関わりを持つ「金槌」に登場していただきます。
「おい、金槌の登場って、どういうことだ。金槌は玄翁だろ。さっきそう言っただろう。」
「お客様。冷静に。先ほど玄翁のことを『トンカチ、金槌といったりとします』と申し上げましたのは、玄翁と漢字で書いただけではイメージしにくかろうと思い 申し上げたまでで、厳密には、玄翁と金槌は区別されるべきものなのです。現に住友林業のホームページの『日本の大工道具』でも ハッキリと区別されているのです。」
 そうなのです。「ちょっと、頭硬いんじゃないの?」といわれそうですが、玄翁と金槌は大工道具の世界では、ハッキリと区別されています。玄翁は鑿を叩く道具。金槌は釘を叩く道具です。玄翁も金槌もそれぞれ自分のパートナーを持っています。
「それじゃ、なにかい? 玄翁と釘は、不倫?」そうなのです。玄翁は特別。坊さんですから。いや、そうじゃなくて、玄翁は、鑿を叩くために在るけれど、釘が打てない訳じゃない。ちょっと金槌を持ち合わせていないから、代わりに玄翁が釘を叩きます。当然ちょっと玄翁の持ち合わせがないから 金槌が鑿を叩くということもあり得るのです。けれど どんな玄翁でもそんなことができる訳じゃない。強くて硬い玄翁だけが、釘を叩いてもいいのです。玄翁の中には、高貴な方もいらっしゃって「釘を叩くなんて滅相もない。」という玄翁もあるのです。とはいうものの 大工道具の世界は、ピシッと法律で縛られてるわけではない。だから、融通の利くところは、聞かせて とにかくいいものを作ろうとしているわけです。(けれど、最近の電動工具は融通の利かないものが増えたよな。)

 玄翁には、強くて硬い「坊さん」タイプの玄翁と「釘を叩くなんて滅相もない。」という「僧侶」タイプの玄翁がある。どちらの玄翁も頭は、鉄でできている。三角だが不倫だかよくわからないけれど、玄翁が釘や鑿と出会えたのは、鉄が伝来してからのことです。玄翁の前身が石にしろ、木にしろ、鉄以前の金属「銅」では、叩いたらすぐ変形してしまう。同じように釘も鑿もまだ鉄以前の代物だったから、叩いたり叩かれたりできなかったはずです。日本への鉄の伝来が弥生時代。玄翁や釘や鑿はここに来てはじめて出会えたのではないかしら。しかしその頃の玄翁(鉄器)に坊さんタイプや僧侶タイプがあったとは、ちょっと考えにくいです。(日立金属のホームページ「たたら」をもとに推測しました。)坊さんタイプ、僧侶タイプの玄翁が作れるようになるには、6世紀に刃金の製法が伝来するのを待たねばならないでしょう。(これも「たたら」をもとに推測しました。)要するに、鉄には、硬い鉄と柔らかい鉄があります。つまり鋼と錬鉄があるということです。玄翁は、釘を叩いたり、鑿を叩いたり とにかく激しい。そんな頭が叩いているうちに変形するような鉄では、役に立たない。だから玄翁の頭は鋼で作るようになったのです。だから鋼の普及以来 玄翁は、みんな坊さんタイプの玄翁だった。ところが倭人の器用さというか、細かさというか、正直というか、技というか、巧みというか、極めるというか。たかが一握りほどの塊を硬い鉄と柔らかい鉄で作るようになったのです。鋼の「鍛接」という奴です。つまり、ものに衝突する部分は、鋼。そうでない柄を差し込んでいる部分は硬くなくてもいいわけだから、錬鉄にする。それが鑿専用の玄翁です。こういう作り方は、刃物の場合には、一般的ですが、そんな手間な事 玄翁にまですることないと思うけれど、そうしないではいられない鍛冶職人がいるし、そういうこだわった道具じゃないと仕事しないよという大工がいて まさに手仕事大国日本だなあ、と感心してしまう。そういう玄翁は、作るのに手間がかかるから当然高価になる。しかし、お金の問題じゃないのです。私は、僧侶タイプを使ったことがないから解らないのだけれど、僧侶タイプは、鑿や釘を叩いたときその感触が全然違うんだそうです。鑿や釘を打ったときの衝撃を頭の柔らかい部分が吸収するんだそうです。ただ、まん中の柔らかい鉄の部分では、絶対にものを叩いたらいけないので、どうしても、使い方が限られてきます。釘を打っちゃいけないわけでもなさそうですが。このようにして玄翁は、全鋼の坊さんタイプと鋼付き僧侶タイプの玄翁ができました。

 単なる鉄の塊と思わせて、実は奥の深い玄翁には 鋼の話の他にもう一つ技が秘められています。その技とは、柄を差し込む為の四角い穴です。「穴がどうかしたの?」という声が聞こえてきそうですが、この穴が大変なんですよ。玄翁は、打ち刃物と同じで鍛冶が鉄を鍛えて作ります。玄翁の穴は、鉄が赤く熱い内に タガネで表と裏の2方向から打ち抜いてあけます。2方向から打ち抜くことで 穴のまん中を少し狭くすることができます。「これが故に柄をきっちりと据えさえすれば くさびなど打たなくとも頭がぬけたりすることはないのだ。」(小平のS州屋のおやじの弁)そうです。  イメージのわかない人にとっては、「だからどうしたの?」と言う話ですが、これってすごい技ですよ。真っ赤っかに燃えている鉄の塊の中心、その中心だって定規を当てられるわけでなし、鉛筆で印を付けられるわけではない。その中心にタガネを打ち込んだ後、きっちり180度反対から、さっきの穴とまったく平行にもう一度穴をあける。定規ナシ、目印ナシ。できますか? まあ、最初の穴をあけるところまでは、何年か修行を積んだ後、なんとか中心を目測で決めてあけられたとします。次に裏からタガネを打ったら、ちょっとずれて、「あ、失敗」と慌てて 表からずれた部分をタガネでまた修正して、またずれて裏から修正して、そうこうしている内に穴は、どんどん大きくなるし、鉄はさめてくるし「やっぱり、俺は鍛冶職人には、むいてないわ。」ということになってしまう。実際にこの目で見た訳ではないけれど S州屋のおやじさんの話を聞いているだけで その技の高度さにワクワクしてくるのでした。

 だから、玄翁の穴を見れば その玄翁がどんなものなのかすぐ解ります。
「あ、これはホームセンターね。」
「これは、金物店ね。」
「お、これは、いい穴ですね。お、名が入ってますね。『幸三郎』ですか。いいものをつかってらっしゃる。」という具合に、穴を見ればわかるのです。 
 その穴は、きっちりと長方形でバカでかくなく 角が崩れていなくてキュッと引き締まっている。もちろん全体の形もバランスがいい。つまり、穴も形も表面の鉄の表情も 玄翁にしておくにはもったいないような玄翁を作る人がいたのです。  米といえば新潟 川といえば信濃川、玄翁といえば「幸三郎」というぐらい大工道具界では有名な玄翁鍛冶 長谷川幸三郎が作る玄翁「幸三郎」です。ちょっと専門店へ行けばショーウィンドウに一つや二つ、非売品としておいてあるかも知れません。インターネットでも「玄翁 幸三郎」で検索すれば必ず見つかるほどの玄翁です。
(参考までに「中野工房」の「長谷川幸三郎の玄翁」を紹介します )
  何でも長谷川幸三郎さんは、ご高齢でもう玄翁を作っていらっしゃらないそうですが、他にも、「菱貫」「正行」など現役の有名な玄翁がまだあります。名のある玄翁は、もっとたくさんあるのでしょうが、私は、詳しくありません。あしからず。

 さて、工芸品ともいえるような玄翁を私は使っているのかというと、使っていません。今のところ、購入する予定はありません。物がないわけではないけれど、私には、手が出ない。足が出てしまう。「叩ければ 何だっていいじゃん。」という訳では、ないけれど 「幸三郎」では、気が引ける。けれどもし150匁 180匁 200匁の「だるま」があれば 衝動買いしてしまうかも知れない。これらは、私が普段使っている玄翁です。やっぱり道具は、使ってナンボです。使わなければ道具も泣くでしょう。(トホホ、そう言いつつも 使わない道具が増えているぞ。)  玄翁の形には、「まる」「だるま」「一文字」「四角」「八画」「角」があります。 そして玄翁は、尺貫法で作られています。単位は、匁です。1匁は、3.75gです。30、40、50、60、80、100、120、150、180、200の玄翁が一般的に作られているそうです。私が普段使っている玄翁は、570g、675g、750gということになります。これらは、玄翁としては、重量級で「大玄翁」と呼ばれる。  これら3つの玄翁を、鑿の大きさに応じて使い分けます。200は、1寸2分(36mm)以上の刃幅の鑿を使うときに使う。この鑿を例えば150の玄翁で叩いても 鑿が木にはじき返されるような感じになる。もちろんこれは木の硬さにもよるのですが。反対に3分(9mm)や4分(12mm)の鑿を200の玄翁で叩いたら、鑿が木に深く入りすぎて抜けなくなったり、鑿が折れたりしてしまう。普段は、180の玄翁で1寸(30mm)や8分(24mm)の鑿を叩きます。使う鑿の刃幅に応じて玄翁を変えるのは当然のことです。

 鑿を使いはじめた頃、刃幅の広い鑿の方が、仕事が早いだろうと思い 1寸6分(48mm)の鑿を購入して使いはじめました。その鑿を何を思ったか木槌で叩いたんです。やはり鑿が木にはじかれて使い物にならなかった。なぜ、木槌を使ったのだろうか。なんとなく、鑿は 木槌で叩くという思いこみがあった。木槌でも頭が樽のような格好をした木槌で叩くイメージを持っていた。そういう木槌を使うことが なんだか専門的でかっこいいと思っていた。それでそういう木槌を探して買ってきて叩いてみた。やっぱり軽くて弾かれてしまう。それでまた重くて頭の大きな木槌を探して買って使ってみる。やはり軽い。そんなことを続けていたら、最後は、カケヤ(大きな杭を打つ時につかうような 柄が1mほどもあるような木槌)で鑿を叩くことになってしまう。木槌は、それなりに重い物になると 頭が大きくなりすぎる。頭が大きいと 鑿を打つ手元が見えにくくなる。すると常に木槌の芯で鑿を打てない。つまり打率が下がる。鑿を叩く仕事にホームランは、必要ない。常にクリーンヒットで出塁しなければならない。クリーンヒットとは 常に槌の芯で鑿を叩き、パチンというか、ストンというかピシっと鑿の刃が木に打ち込まれる状態である。だから、エラーやボテボテの内野安打でヒットしても仕事にならないのである。公式記録員がいつも迷わず「ヒット」と言い続けて、それが9割9分の打率でなければならない。

 木槌で鑿を打つのは、テニスのラケットで野球のバッターボックスに立つようなものだったのです。それでは ゲームになりません。そこで鑿への衝撃が優しいけれど、重くて頭がコンパクトなものはないかと思い あたりを見渡してみると、ちゃんとありました。プラスチックハンマーという頭の柔らかい奴が。似たタイプにウレタンハンマーや、ゴムハンマーもあります。わたしは、その中から「ベゼル」のプラスチックハンマーを長く使っていました。プラスチックハンマー通称「プラハン」は、例えば玄翁と同じ重さのもので鑿を叩いても、叩いた力の割に鑿を持つ左手の受ける衝撃が少ない。それは、当然でプラハンのプラスチックの部分が衝撃を吸収してくれるからです。だから、鑿のハンマーが当たる部分もほとんど傷むことがありません。けれど、ハンマーのプラスチックの部分は3ヶ月毎に交換しなければならないほど、ボロボロになります。プラハンはポンドの単位で作られています。最初は、1.5ポンド(約680g)を使っていましたが、なんだか物足りなくて2ポンド(約900g)を使うようになりました。それも使い続けている内になんだか物足りなくなってきました。つまり重いハンマーを使っている割には、鑿がスコンと切れてくれない感じなんです。だから、ついつい力を入れてハンマーを振り下ろすことになって、それは、疲れるんです。
 ある日、気分転換に150匁の玄翁で叩いてみたんです。そうしたら、2ポンドのプラハンより軽いのにスパンと切れるのです。気持ちいいのです。甲子園のバッターボックスで硬球をクリーンヒットしたような切れの良さなんです。つまりプラハンは、軟式野球だったのです。

 硬球のこの感触を知ってしまったら、もうプラハンは使えません。頭の中は 玄翁一色です。すぐに車に飛び乗って近くの金物屋へ直行です。「おじさん、玄翁ありますか?」ところが 金物屋に重い玄翁がありません。まして、「だるま」なんて。私が思っている以上に大工道具の世界は様変わりしていたのです。普通の金物屋では、まず、200匁の玄翁は、見かけません。店の人に尋ねるとこう言われます。「そんな玄翁、使わないから。大体、鑿で穴をあけなくなったからね。」そんなわけで、私はすぐ新潟の与板へ玄翁を注文したのです。それにしても 鑿を使い始めた頃、なぜ木槌やプラハンなどと 頭の柔らかいものにこだわっていたんだろう。やはり、鑿が大切で過保護にしていたような気がします。鑿を玄翁で叩き続けると 鑿の刃の部分は熱くなります。そして口金の部分や木柄が変形してきます。場合によっては、折れたりすることもあります。しかしそれは、桂の仕込みが悪かったり、玄翁の重さが合わないからにすぎません。玄翁で叩く事が原因ではないことが分かってきました。

 今使っている玄翁は、新潟の与板に注文して取り寄せた玄翁です。私は、やっぱり「だるま」型が好きなんです。その内「正行」のだるまを手にしてみたいものです。

 ところで、私は、草野球チームで野球をやっています。今年はバッターボックスに立ってもいつも「だるま」でした。つまり手も足も出なかった。けれど、仕事場で、鑿を打つ打率は、9割9分だからね。ねえ、聞いてますか?、監督。

 今回の「玄翁への道」を公開するに当たり、快くリンクさせてくださいました皆様に感謝いたします。

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