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2002.4.5


きっかけ
トレーニング
パスタカーボローディングパーティー
スタート
ファッション事情
群の迫力
トイレ事情
関門
ラストランナー

 人は なぜ走るのか。人によって、その動機は様々である。「フォレストガンプ」は、過去を捨て去るために3年間走り、「炎のランナー」のハロルドは自分の名誉のために、エリックは神の為に走る。「メロス」は。メロスは、友達が暴君と結婚して妹の出産に立ち会うため?。とにかく走る。泥棒は、逃げるために走り、警官は、捕まえるために走る。出勤途中のサラリーマンは、電車に乗り遅れそうだといって走り、デパートの入り口に並んだおばさんは、開店と同時にバーゲン会場へ走る。きれいなおねえさんは、痩せるために走り、おじさんは、最近腹が出たといって走る。

 そして私も走ります。どうして走るのかって?借金取りに追われて走るわけではありません。「青梅マラソン」の為に走るのです。という訳で今回は青梅マラソンを探検します。
青梅駅構内にも
市内の洋品店でも
市内の和菓子屋でも
松嶋奈々子のとなりにも
 
町内会の掲示板にも
 


 わたしは「青梅マラソン」の開かれるその青梅市に住んでいます。出身は兵庫県ですが 兵庫にいた子供の頃でも耳にすることがあるほどその当時から「青梅マラソン」は有名でした。当然青梅に住んでいれば 毎年これを耳にすることになります。ポスターを見ることもあれば、市の広報で目にすることもあります。そんな青梅マラソンですが 青梅に越してきたばかりの頃は、走ることに興味が無かったし また走れるとも思っていませんでした。だから当然見に行くこともありませんでした。それが 腰痛対策と健康維持のためにランニングを始めて それが8年にもなると 元来走ることは不得手だということも忘れてしまい 青梅マラソンも走れそうな気がしてきたのです。
「青梅マラソン?。一回は走っておきたいね。そう一回完走しておく必要がある。」
「ホームページも開設したことだし 市民として 青梅マラソン30kmに参加し 青梅マラソンの実体を調査、報告する責任が私にはあるのだ。」という気持ちになっていました。いえ強引にそういう気持ちにしたのです。そういうことを思っていると 本当に「きっかけ」ってやってくるものです。

 私の仕事場の隣に青梅マラソンに詳しいI藤さんが住んでいます。I藤さんは、和太鼓奏者で  毎年10kmの部を走ったあと、日向和田の「へそまん」の駐車場に 何十台という太鼓を並べて30kmの部のランナーに声援を送っている人です。仕事場でI藤さんに会うとたまに「島津さんも走りませんか。」と声を掛けてくださいます。2001年のいつだったか、おそらくその年の青梅マラソンの頃だと思います。ランニングから帰ってこられたI藤さんに仕事場の前で会い またマラソンの話になりました。「島津さん、幾つになります?。」と訊かれ 38と答えると「じゃあ、40になったら、10kmの部に出場できますから、その時一緒に走りましょうよ。」と誘われました。そういわれて わたしは言ってしまったのです。「どうせ出るなら一度は、30kmを走ってみたいですね。」と。きっとI藤さんはそんな私を「自信過剰な奴」と思ったことでしょう。とにかくそんな言葉がきっかけで私は、出場を決意したのです。決意したからと言って必ず出場できるとは限りません。まず前年の8月に往復葉書で応募し、参加資格を得なければなりません。私も葉書を出しました。そうしたら 大会要項と申込書が送られてきたのです。もちろん申し込みました。あのときは、勢いで言ってしまったことですが、まあ、40も近いことだしちょうどいい機会かな。

 青梅マラソンのトレーニングは、8月から始めました。何をするって 走る距離を伸ばしていくだけです。5kmから7キロ。7キロから10kmへ。1ヶ月かけて距離を10kmに伸ばしました。最初は太股の付け根が痛みましたが しばらくすると楽に走れるようになりました。タイムも1時間以内で収まっています。「無知」とは恐ろしいものです。私はたかが10km走っただけで「青梅マラソンは3時間30分以内で30kmを走ればいい。だから今のランニングを3回繰り返せば、完走できるんだ。これなら何とかなる。」と思うようになりました。だからしばらくは距離を伸ばさず 10kmを走り続けました。けれど1週間に3回10kmを走るのは 結構きついものがあります。何がきついって そのための時間です。走っている時間は1時間でも、その前後のストレッチを入れると1時間半以上かかります。それに5kmの時に比べたら 体力の消耗も感じます。これ以上距離を伸ばして マラソンのために体力や時間を割くのはあまり気が進まない。だからといって、毎日分刻みのスケジュールで暮らしているわけではありません。週の半分はボーっとしているのですが。要するに走ることにのめり込みたくないんです。

 秋になったある日 仕事場でボーっとしていたら、前を通りかかったI藤さんが声を掛けてきました。「走ってますか?。」私は「はい、今は何とか10kmを1時間で走ってます。」そういうと「5km10kmと違って 30kmはきついですよ。特に後半、足が動かなくなると辛いです。関門もあるし。」と I藤さんはいいます。別に上位入賞をねらっているわけではありませんが、「30kmは違う」「関門」という言葉を聞くと なにやら不安になってきます。
「せっかく参加しても、途中の関門で失格になってしまったら・・・」。

 さっそく次のランニングからは15kmに距離を伸ばしました。すると案の定 後半は足が上半身についてこなくなりました。それに腹が減って走る気力がなくなるということもわかりました。それでもトレーニングの毎に少しずつ距離を伸ばし20kmを走るようにしました。足の痛みや疲れには慣れてきましたが 後半に感じる空腹感はますます強まります。とにかく空腹で走る気力がわかないのです。エネルギーを補給しないと30km完走は無理だ。私は強く実感するようになりました。そして早速エネルギー問題の対策に乗り出したのです。まずエネルギーとして何を選択するか。私は、「バナナ」「アミノバイタルゼリー」「スニッカーズ」の3つを候補に挙げ 20kmを走りながら実際にそれを食してみました。20kmを走る場合だいたい15km付近で腹ぺこになる。腹が減ってから補給していたのでは遅いと考え 10km付近で補給することにした。まずバナナは栄養学的にも運動中のエネルギーとして認められており 食べた満足感も十分である。走りながら何とか皮もむける。ただ、食べた後の皮をポケットに入れたまま走らなければならないという難点がある。次にアミノバイタルゼリーを実験した。これは味の素食品が販売している栄養食品である。エネルギー源となる炭水化物やタンパク質とビタミンに加えて アミノ酸が含まれているのがこのゼリーの特徴である。これはスクリューキャップをとり、容器を握りながらチューチューと吸えば、ゼリーを飲むように食べることができる。残った容器はまたキャップをしてポケットの中に入れて走ってもじゃまにならない。これを試した時は 15kmを過ぎても足の筋肉や関節の疲労感があまりないような気がした。「さすがアミノ酸。」さて、3つ目はお腹がすいたら「スニッカーズ」である。これは3つの中で一番高カロリーでしかも軽量の食品である。甘党の私にとって最も望ましい食べ物であるように思われた。その日もバナナやアミノバイタルゼリー同様、ポケットにこれを入れてスタートした。そして10kmの地点で包装紙を剥がし かぶりついた。ところがスニッカーズはチョコとキャラメルがベースである。いくらポケットに入れていたとはいえ、外気の寒さで固まったスニッカーズは、ちょっとやそっとでかみ切れない。口の中の固まりを引きちぎっっても、呑み込むまでに口の中で何度もかみ砕かねばならない。水分も必要になってくる。走りながらのこの作業は負担である。スニッカーズは却下された。さて、結局私は、バナナは走る前に食べ 途中でアミノバイタルゼリーを摂ることにした。次に補給の仕方である。専属のサポーターを10kmと20km地点に配置するなんて事はまず考えられない。サポーターがいないのだから。次に給水所に私専用の「アミノバイタルゼリー」を籏を立てて置いておくという方法も考えられる。しかし、私が到着する前に誰かに食べられてしまう恐れがある。結局、大会当日はウエストバックにアミノバイタルゼリーを入れて走ることにしました。

 さてエネルギー問題は何とか対策を講じることができたのですが タイムが縮まりません。20kmのタイムは2時間10分です。どうしても2時間を切れません。それにしても20kmなんて距離は これまでの私にとっては自分の足で移動する距離ではありません。自転車でもない。自動車か電車の距離です。そのころは さすがに週3回も走っていられなくて 2回になっていましたが 普通なら車で移動するような距離を毎週2回、朝4時に起きて走っていたのです。家人は布団の中から 部屋を出ていく私の後ろ姿に「バカじゃないの。」と捨てゼリフを残し また深い眠りに戻ります。そう、完全にバカです。走ったその日は 体力は使い果たし足もガタガタです。「健康の為に走る」なんていいますが、マラソンは、健康のためになりません。こんなに体力を消耗したら、免疫力だって下がります。12月に入った頃、私はちょっと油断して薄着で仕事をしました。そうしたら次の日から 鼻水ズルズル咳コンコン。この風邪が完治するのに2週間。その間ランニングはお休みです。風邪が治り またランニングを再開しましたが、こんなことでタイムが縮まるはずがありません。しかしまだ1ヶ月ある。この間に20kmを走り込めば 何とかタイムも縮まるだろうと思っていたら、今度は1月半ばに 腰痛で立てなくなってしまいました。次の日はなんとか歩けるようになりましたが ちょっと無理な姿勢で仕事をしたのがいけなかったようです。つまり本職の仕事で無理ができなくなるほど ランニングに体力を使っているのです。その腰痛も2週間ほど腰にコルセットを巻いて過ごしたことで ようやく収まりました。それからは、距離を15kmに縮め 体調維持につとめました。いまさらあがいても どうなるものでもありません。今のタイムで行くと 何とか3時間20分でゴール出きるでしょう。私はそういう甘い計算で本番に望んだのでした。

 そしていよいよ大会直前。大会前日は総合体育館で開会式と音楽祭と「バスタ・カーボローディング・パーティー」が開かれます。青梅マラソンに参加する目的は勿論30kmを走ることですが 私のもう一つの目的は、「パスタ・カーボローディング・パーティー」です。いろんな市民マラソンに参加している知人が言っていました。「たいていのマラソン大会はその前日に、スパゲティーが食べ放題のパーティーがあるんですよ。」その言葉が以前から気になっていたのです。それがパスタ・カーボローディング・パーティーです。「食べ放題」。なんて魅力的な言葉でしょう。ペペロンチーノで始まってボンゴレ・ビアンコ、ミートスパゲティー・ボローニャ風、ひょっとしたらラザニアもあるのかな。そんなイメージがふくらみませんか?。開会式と音楽祭も早々と見学し終え ゼッケンの交付も受け 私は体育館外の特設テントへ向かいました。テントは運動会の大会本部に使われるようなものではありません。サーカスで見かけるような大きなドーム型テントです。すでに入り口には長蛇の列。その列に並んで待つこと20分。さあ、パーティーの開幕です。生バンドが演奏を始め、司会の女性がステージ上でなにやら言っています。会場内は、丸テーブルだけの立食形式です。テーブルの上には、バナナが山のように積み上げてあり 飾りとも盛りつけとも区別がつきません。セルフサービスで入場者はカウンターからパスタをもらってきて 思い思いの場所でそれを食べます。司会の女性が言っています。「ようこそ、日清製粉パスタ・カーボローディング・パーティーへ。さあ、いよいよ明日は第36回青梅マラソンです。そこで今日は皆様に日清製粉よりミートソーススパゲッティー・ボローニャ風を用意させていただきました。」そうです。ミートソーススパゲッティー・ボローニャ風一種類だけです。入場者はミートソーススパゲッティーを食べ、目の前のバナナを食べ、またミートソーススパゲティーを食べる。のどが渇いたらコカコーラかアクエリアスをカウンターでもらって飲む。そしてまたミートソーススパゲティーを食べる。まさに食べ放題飲み放題です。でもミートソーススパゲティーとバナナをそんなにたくさん食べられるでしょうか。ステージ上では司会の女性に代わって栄養士のおねえさんが このパーティーの趣旨を説明しています。「つまりアスリートにとって必要なエネルギーであるところのグリコーゲンは 炭水化物に多量に含まれている。ゆっくり消化される小麦の炭水化物は 脂肪になりにくくグリコーゲンとして蓄積されやすいので、多くのアスリートがパスタを食べることによって理想的なコンディションを手に入れる。」のだそうだ。だからペペロンチーノでもカルボナーラでも パスタであれば何でもいいのである。私はミートソーススパゲティー1皿とバナナを1本食べると テントの外へ出ました。それにしても ドーム型テントとテーブルに山積みのバナナ。この光景にサーカスとチンパンジーの餌が思い浮かんだのは私だけでしょうか。


<パスタカーボローディングパーティー風景>

 大会当日は多少雲が懸かってはいるものの 夜まで雨の心配は無いまずまずの天気です。30kmの部のスタートは12時です。10分前に指定のスタート地点でチェックを受ければよいのですが 総合体育館とその周辺の雰囲気も見ておきたくて 私は午前11時にアパートを出ました。総合体育館周辺は、昨日の開会式とは打って代わって人また人です。体育館南の道路は車両通行止めで ランナーに開放してありますが そこでは本番さながらのスピードで選手がウオーミングアップしています。そういうのを見ると なんだが妙に焦ってきます。はやる気持ちを抑えながら体育館へ向かいました。体育館の生け垣やちょっとした駐車スペースは 選手がレジャーシートを広げたり小型のテントを張って 更衣と休憩のスペースを確保しています。外がそうなのですから 中は壮絶な人混みです。まず、玄関ホールに足を踏み入れるやプーンと異臭が鼻を突きます。サロメチールの無償提供です。その前で選手が思い思いの場所にサロメチールを塗っています。その玄関ホールはもとより通路の両側、ちょっと空いたスペースに 選手が思い思いに場所を確保しているため 歩くのもやっとです。スタート時間が近づき 選手はスタート位置へ早く移動するように アナウンスが流れています。それでもトイレには長蛇の列がつながっています。私は、指定された更衣所の隅に荷物をまとめ 外へ。いつも通り15分ほど軽くストレッチをし、指定されたスタート位置へ向かいました。

<更衣場所は人の海>

 2002年2月17日正午 第36回青梅マラソン30kmの部はスタートしました。私は、自分のストップウオッチをスタートさせるべく ボタンに指を掛け待っていましたが 秒針は、正午をすぎてどんどん進んでいきます。私のスタート位置は正午になってもなにも聞こえないし、誰も走り出さない。だから正午スタートと解っていても なかなかスタートボタンを押せずにいたのです。しばらくすると前の集団がゾロゾロと動き始めたので「あ、やっぱりスタートしていたんだ。」と あわててストップウオッチをスタートさせました。そして私も駆け足をはじめました。しかしちょっと駆け足したかと思うとまたしばらく歩き、またちょっと駆け足。その繰り返しです。コースに設置されたスピーカーは、「押さないでください。立ち止まらないでください。」と訴え続けます。スタートしてから8分かけて、やっとスタートラインの横断幕が見えてきました。ところがスタートラインが近づくとまた集団のスピードが落ちます。なぜか。その原因は「ミスター」です。ミスターイトウのバタークッキーではなくて、「ミスタージャイアンツ」です。今回の青梅マラソン30kmのスターターは長嶋茂雄です。スターターとは、「ヨーイ、ドン」のピストルを撃つ人です。なるほど今年長嶋がスターターになっても不思議ではありません。例年なら今頃は宮崎でキャンプ中ですから、スターターどころではなかったでしょう。しかし今年は、監督でもなく かつ青梅マラソンの主催者である報知新聞の客員とくれば、「んー。1万2千人のメークドラマ。一度は、見てみたいですね。」なんていったかどうか。当然の成り行きでしょう。そんな彼が いくら種目の違うマラソンとはいえ、東京で1万2千人の前に立って しかも手を振って「かんばってくださーい。」なんて言えば、ただでさえノロノロと進んでいるスタートライン付近のスピードが更にダウンすることは必至です。私がスタートラインであるミスターの前を通過するときは、全員が口々に「ナガシマー。」と叫んで手を振るのです。無視すればいいものを長嶋はそれに答えて手を振ります。普段から「アンチ巨人」を自任している私でさえ手を振ってしまったのだから、そこはもう立ち止まっているのと同じ状態です。今後は是非星野監督か野村氏にスターターをお願いできないでしょうか。そうすればスタートライン付近は、スピードがアップするはずです。

 スタートラインを過ぎてからは、歩くようなことはなくなりましたが それでも遅い駆け足状態です。それなのにスタートライン付近は すべてのガードレールや電柱に、マットレスや布団が巻き付けてあります。1万2千人の一番前のスタートがいかに壮絶なものか これを見れば想像がつきます。ところが後方からスタートするに従って スピーカーから「押さないでください。立ち止まらないでください。」とさとされながら 駆け足の体勢を取ったままノロノロとスタートしていくことになるのです。「するってえと、どこからスタートするかでタイムが全然違うんじゃねえんですか?。」そうなんです。スタートは、ゼッケン番号の1番から順番に200番ずつ後方へスタート位置をずらしてあり それぞれのゼッケン番号に応じたスタート位置からスタートします。だから一番後ろからスタートする選手はスタートラインまでに約1km多く走ることになります。そのゼッケン番号は、どうやって決まるのかというと 大会本部によって選手の経験や年齢・性別その他を考慮して厳正に決定されます。けっして政治家の圧力や政治家秘書の口利きによって決まるわけではありません。ちなみに私のゼッケンは、「E113」です。この番号が届いたとき「イーのイイサか。なかなかイイな。」と無邪気に喜んでいました。でもこの「E」って何。ま、イーか。いえ、よくないのです。I藤さんに尋ねると 「Eというのは、10000の事です。だから島津さんのスタート地点は、最後の方です。つまりスタートしてもスタートラインまでに10分は掛かると考えておいた方がいいですよ。」と教えてくれました。普段山の中で一人で仕事をしている私には、1万人なんて言われてもピンときませんでした。それが今回「一万人とは、スタートの号砲も聞こえず、スタートラインまで8分かかる人数である。」という具体的な形で目の前に立ちはだかったのでした。
 話はレースからはずれますが 先輩のSさんは かれこれ20数年前の学生時代に青梅マラソンを2回完走したそうです。そのころは、スタートラインまでに20分かかったそうです。その当時は参加人数の制限がなく ものすごい数の参加者だったものと思われます。「それでも俺は、3時間で走った。」とおっしゃっていました。

 さて、この遅い駆け足状態はスタートラインから1km先の青梅信用金庫のクランクを左折するあたりまで続きます。それを過ぎると後方集団も徐々にスピードがついてきます。といっても駆け足という程度のスピードですが。とにかく周りが人だらけで 自分のスピードで走っていると言うより 集団のスピードに乗っかっている感じです。このスピードより速く走ろうとすると、前の人と人の隙間を探し そこへ自分の体を移動して 体をかがめたり斜めにして抜かなければならない。そういうことは必要以上にエネルギーを使います。私もスタートの遅れを取り戻そうと少しでも前に出ようと人の隙間を探して右へ寄ったり左へ寄ったりしていたのですが、疲れるばかりでいっこうに前に出られません。それほどの人の多さなんです。前を見ると人の頭が道幅いっぱいに延々と奥多摩の山へ向かって繋がっています。私は無駄なあがきを止めて集団のスピードに乗っかっていくことにしました。
 
 一人のランニングの時と違って 集団で走っていると自然と周りの人間に興味がわいてきます。「もう長く走っていらっしゃるんですか。」「初めてですか。」「どこからいらっしゃったんですか。」ついそんなことを聞いてみたくなりますが 実際に聞いたりはしません。ただ黙々と走るだけです。それでも背中のゼッケンにランナーの年齢、性別、氏名が記入されているので それを見ればある程度のことは想像できます。目の前を走っているこのスタイルのイイ女性の年齢が26歳であることや、お揃いのベストを着て並んで走っている男女の2人連れが夫婦であることも確認できます。モヒカン頭で 上半身はなにやらゴツゴツとしたものを身にまとい 顔中を白や赤で装飾した「デーモン小暮」が41歳であることもわかります。彼はひときわ大勢の声援を受けて走いました。高齢化社会といわれて久しいですが、当然高齢者も走っています。そんな中特に印象的だった人は、20km関門の手前で私の視界に入ってきた70歳の老人です。その人は片足を少し引きずってはいたが足取りはしっかりと走っていきます。20kmの関門が近づくと大会役員が「関門閉鎖まであと10分」などといって選手をせき立てるのだけれど、その人は黙々と走ります。老人は20kmの関門を通過できなかったのですが、もくもくと関門まで走り続ける。その人にとって、完走なんてとっくに卒業してしまって、今ここを走るために走っている。誰かに制止されるまで走るのだという姿勢がその足取りから伝わってきます。その人を始め50、60才の選手は足取りもしっかりとズンズン走っていきます。高齢者だなんて嘘です。全然問題なし。会社が60や65で退職させるのは間違いとしか思えません。それに比べて 20kmを過ぎた辺りから 立ち止まって足を揉む人や屈伸をする人が目立ち始めますが そういう人のほとんどが20代30代の若い人ばかりです。「勢いで参加してはみたものの やっぱり普段から走っていないとこうなります。」という典型です。それは、その選手がどんなウエアを着ているかにもよく表れています。

 では、ここで青梅マラソンの服装について報告しておきましょう。今上に書いたような立ち止まって足を揉み始める人は いわゆる「ついで」の服装です。つまり昨日までパジャマで使っていたスウェットだったり、綿のTシャツだったり ちょっとスポーティーなだけの普段着で走っています。ところが普段から走り込んでいるとおぼしき人たちは、ポリエステルです。原色です。「ランニング」なんです。よくおじさんがワイシャツの下に着る白のあれじゃありません。肌触りがサラサラで吸水性と発汗性にすぐれた化学繊維のランニング用ランニングシャツです。走っているのだからランニングシャツを着るのは当然なんですが、青梅マラソンは早春とはいえ2月に山の中を走ることになります。ランニングシャツではチョット寒い。だから半分以上の人が半袖や長袖のTシャツを着て走ります。ところが走り慣れた感じの人は必ずその上にもランニングシャツを着ています。そしてそのランニングに「○○RC」とか「○○走る会」という名前が入っていたりします。つまり「ランニングシャツ」は「走る」トレードマークであり、ユニフォームなんですね。当然 招待選手やチーム参加の選手はランニングシャツだけです。さて「上半身はわかったが 下半身はどうなんだ。」という声に答えましょう。「ブルマ」は、今も健在なのか。「ミニスカ」ランナーはいるのか。市民マラソンを見たことのない者にとって興味はつきません。しかしじっさい、ブルマはもう存在しませんね。「ミニスカ」ランナーなんてとんでもない。じゃあ、どんな格好で走っているのか。ランニングパンツです。これもサッカー選手のようなダボダボではなくて 丈が短くひらひらしていかにも軽そうなやつ。次によく見かけたのがぴったりフィットのタイツです。このタイツがなかなかのくせ者で 身につける人によってじつにさまざまな印象を与える。どんな印象かって?。マラソンの話から脱線しそうなのでこの話は別の機会に。後はジャージです。そう言えば ビキニパンツにブラジャー姿のおじさんがいました。この人も目立つと言えば目立ちますが 全員がカラフルなのでそれほどでもありません。そして当然ですが全員がシューズを履いています。マラソンにとってランニングシューズは必須アイテムです。裸足の人や草鞋や足袋の人は、皆無でした。

 とにかくそういう1万2千の人の帯が 何キロにも連なって多摩川沿いの街道を移動していきます。テレビで中継するマラソンは、スタート付近こそ人の帯ですが、後は先頭集団の映像ばかり流れるから「人の帯」つまり「群」の迫力をかいまみることがない。ところが目の前で見る青梅マラソンは迫力満点です。アフリカの草原を流れる大きな川を ヌーの大群が渡っていくシーンを思い出してください。あるいは「ダンス ウィズ ウルヴス」のバッファローの大群が駆け抜けていくシーンと同じです。そんな大群が町の中を走ったら選手も街も壊れてしまいます。だからさっき書いたようにスタート付近はガードレールや電柱にマットレスや布団が巻き付けてあるのです。そこには群が移動する迫力=躍動感があります。スタート付近で三脚を立ててシャッターチャンスを待つ人たちは、その躍動感にアドレナリンが垂れ流し状態だったはずです。そのアドレナリンに足を滑らせて転倒する選手が続出した年があったとか無かったとか。ヌーの場合は川を渡りきると歩き出すのかもしれませんが 青梅ヌーの大群はそのままどんどん街道を走り続けます。そんな光景も 群の中のしかも後ろの方にいる私には見ることも感じることもできません。そう思っていたら、群の中でも群の躍動感を感じる場面がありました。それは10km地点を過ぎた辺りから体験します。この付近は、スタート地点とは違い道路のすぐ左は、多摩川の崖っぷち。右は山の斜面です。道幅も随分狭くなり 安全のためコースは往路と復路に分けられています。そこを群の後方にへばりついて山を上っていくと 前方から地響きが聞こえてきます。最初は、低く。空気のかすかな振動といった感じです。それが徐々に確かな音になって近づいてきます。それが先頭集団との遭遇です。地響きの先端を風を切るように走っていく動物が一頭。その一頭だけは、ヌーではなく インパラのように跳ねて行きます。その一頭とすれちがった後は 群の地響きがその一頭を追いかけてしばらく続きます。そのときは、間違ってもセンターラインに近づいてはいけません。復路の選手のスピードに巻き込まれて転倒してしまいます。センターラインに立ち 往路と復路を分ける仕事をしている役員の人たちも選手の風速で飛ばされないようにコートをしっかりと着込み 腰を落として選手が通り過ぎていくのをじっと待ちます。ちょっと大げさだったかな。しかし1万2千人の群の移動とは これぐらいの迫力があります。

 ところで、さっきのトップランナーですが それを目の前で見ることができただけでもこの大会に参加した意義があるかもしれません。超一流の選手のスピードを目の前で体感できたのですから。私の50m全力疾走よりも速いです。記録によると一位でゴールした人は、1時間31分となっていますが これは私の半分以下の記録です。でもそんなに速く走ったら、商店街のレコード店で「帰って来いよ。」の曲が流れていたことや 日向和田を過ぎた辺りで梅の花が満開だった事を ちゃんと認識できるんだろうか。友人知人も応援に来てくれているだろうに そういう人を見落として 手を振りそびれたりしたら失礼ではないのか。もう一つの心配はあんなスピードで走っていたら 給水所で水やスポンジがうまく取れないのではないかということ。テレビなんかでは、テーブルの上の並んだコップがうまく取れず、たくさんのコップが倒れる場面があるけれど、もし一人1個と決まっていたら、選手は、当然スピードを落として取ることになるんだろうな。そうなるとマラソンは パン食い競争になってしまう。水だけではありません。沿道にはエネルギー補給の為の甘いお菓子や果物が供されています。先頭集団は そういった物にも一切手を着けずに 駆け抜けていくのでしょうか。市民の皆さんがせっかくボランティアで用意してくださっているのに。中には、小さな子供が「チョコレートあるよ。」といって手を差し出していてくれたりするんです。そういうのを無視して走り去ることは ちょっと私にはできかねます。だからといって供されている物を一つ一つ取っていては、エネルギー補給どころかエネルギー過多で走れないし。

 さて 「入れたら出る」。動物である以上それは自然なことです。マラソン中だからといって待ってくれるわけではありません。普段のトレーニングでも私は必ず1回以上催しますが このマラソン中にも私は3回催し3回出しました。大は完全ではないにしろ その日のコンディションの持って行き方で ほとんど制御できますが 小はいくら本番前に十分出したとしても やはり催してきます。以前この問題をI藤さんに相談すると、「島津さんは、神経質なんですね。」と言われてしまいました。「まあ、オリンピックの選手でも出るときは出るんですからしょうがないんですよ。駅のトイレに駆け込むか、川に向かってするしかないですね。」とのこと。そしてこの大会を走ってみてつくづく自分が「男」という生き物でよかったと思いました。その光景は5kmを過ぎた辺りからぽつりぽつりと目立ち始めます。空き地の隅っこへ走り込んだり、多摩川の土手に何人もの男が並んでじっとしてるのです。そしてまた突然走り出したかと思うと群へ合流してきます。いくら市民マラソンだからといって 畑でも空き地でも勝手に入っていって人目もはばからず出されたら、沿道の住民も応援ばかりしていられないでしょうね。15kmを過ぎた辺りの立木の前に「立ち小便、禁止」と書いた看板が立っていましたから 沿道住民の方の複雑な心境が察せられます。大会の為にコース上に設置されたトイレは極限られた数です。だから女性は特に大変です。次にいつトイレに出会えるかわからないと思うと、目の前のトイレで順番を待たなければなりません。そうなると女性はタイム的に不利です。いや女性だって空き地や土手で・・・。いやそういうことではなくて この問題を超一流マラソンランナーはどのように解決しているのでしょうか。是非「井出監督」に講演会を開いてもらい、その対策をじっくりと聞いてみたいものです。それぐらい目立つ光景なんです。

 ところで このように入れたり出したりの部分だけを読むと 青梅マラソンはピクニック気分で走れると誤解されそうですが 決してそうではありません。マラソンはスポーツです。制限時間があります。青梅マラソンは30kmを3時間30分で走らなければなりません。それだけではなく、途中には4カ所の関門があり それぞれの関門にも制限時間が設けられています。そして全ての関門を制限時間内に通過して30kmを走りきった選手だけが「完走した」といえるのです。青梅マラソン最初の関門は15km地点です。午前12時にスタートした選手は、この関門を1時55分までに通過しなければなりません。その為の最低時速は7.8km/hとなります。でもこの速度はランナーにとって決して速い速度ではありません。しかし最初の15kmをそんなゆっくりのペースで走っていたら 次の20km地点の関門閉鎖時間2時25分に間に合わせるためには時速10km/hにスピードアップしなければなりません。その次の25km地点の関門に間に合わせるためにも 引き続き時速10km/hの速度で走り続けなければいけません。つまり青梅マラソンは、最初ゆっくり走って 後半は、疲れようとバテようと後は時速10km/hを維持し続けなければ完走できないコース設定になっているのです。「前半もっとスピードアップしておけばいいのに。」と誰もが思うでしょ。ところが読んでおわかりと思いますが後ろの方からスタートした選手は 前に1万2千人いる訳ですからスピードアップしたくてもできないのです。だから折り返しまでは、群のスピードに合わせてゆっくりと走っていくしかありません。これを「青梅のジレンマ」または、「青梅でジダンダを踏む。」というのです。この群のスピードも折り返し地点を過ぎると 急にスピードが上がり 目の前が開けます。そこで時速10km以上にスピードアップし最後まで走れると完走できるのですが。そのままスピードダウンしてしまうと 当然関門を通過できなくなり「失格」です。失格した選手は、速やかにゼッケンを外し それに付いているIDタグを返却し コースから出なければいけません。あとは、それぞれの関門に控えている「収容車」(乗り合いバスが何台も待っています。)に乗って総合体育館まで護送されてくるもよし、引き続き歩道を走るもよし、小銭を持っている人は、電車に乗って帰ってしまってもかまいません。

 トレーニングの時のタイムからも解るように 私の脚力は、青梅マラソンの制限時間ぎりぎりの力しか持ち合わせていません。しかもスタートで8分近くロスしているのです。だから、折り返しを過ぎて人の密度が減り 走りやすくなったのだから スピードアップしなければいけないのですが まだ15km走らなければならないのです。どれぐらいスピードを上げればいいのか、そこら辺の加減がマラソン初心者の私には解らないのです。足に多少の違和感が出てきてはいるものの まだ十分走れます。アミノバイタルのおかげで空腹感もありません。とにかく少しスピードアップして走りました。そして20km関門を閉鎖5分前に通過しました。「これは、やばいぞ。」そう思うべきなのですが そのころになると頭の中はポーッとして あまり焦りも緊張感もわいてきません。確かに足は重くなっているし、ふくらはぎも痛みを感じますが 立ち止まってしまうほどではありません。 そんな状態で25kmの関門を閉鎖3分前に通過しました。残りあと5kmを35分で走らなければいけません。25キロ地点まで来るといつも走り慣れた場所なので 距離感もはっきりつかめます。「これはまずい。」そう思ってもそのころにはスピードを上げることができなくなっています。それに周りの選手が相変わらす淡々と走っていて「ひょっとしたら、このままでもいいのかな。」なんて思ってしまったりするのです。大会役員は「スピードアップしないと関門にかかってしまいますよ。」と言っています。一方で沿道から、「その調子でいけば 大丈夫。」なんて言っています。そうこうしているうちに大会役員が「関門閉鎖まで後3分」とか「あと2分」なんて具体的なことを言い始めました。それで28.8km地点の関門があることを思い出したのです。しかし25km地点の関門を通過してからはその関門のことは頭からすっかり消えていました。

 「後1分」の声が聞こえたとき、前方100mに関門が見えました。あわてました。驚きました。走りました。そして関門前で「はい、閉鎖です。」と言われたとき、私の頭をこの半年間のことが一瞬に駆けめぐりました。1分足りないだけで。すぐ目の前に関門があるのに。関門を通過した選手の後ろ姿が見えているのに。3時20分この瞬間に私は彼らとは、別の人間になってしまったのです。同じように関門を通過できなかった周りのランナーは、歩道にあがって歩き始めます。みんな潔いのです。けれど私は元来往生際が悪いたちです。とりあえずあと1.2km走ってから この状況を考えようと思いました。私はゼッケンに付いているIDタグを引きちぎり それを回収している役員に押しつけるようにして渡し 残りの1.2kmを走り始めました。歩道は、大勢の観客がいて思うように走れません。既にゴールした選手が歩いていたりもします。そういえば「北斗の拳」という格闘マンガの中で 主人公の「拳」がまだ戦っている相手に向かって「おまえは、既に死んでいる。」とセリフを吐く場面がありますが まさにそれです。まだ走っているけれど私の青梅マラソンは終わっているのです。私が歩道を走っているにもかかわらず、中には応援してくれる人がいるのです。「ガンバレー。あとチョット」と。そういわれると私は北斗の拳ではないけれど、「終わってますから。」とその声援を丁重にお断りしなければなりませんでした。そうやって歩道の人混みをかき分けながら走り ホームセンター「ヤサカ」の角を右折しました。フィニッシュまであと20m。歩道はまだ大勢の観衆でごった返し、走ることができません。私は不本意ながらマラソンコースを走りフィニッシュしなければならない。観衆は、私が最後のランナーと思いこみ惜しみない拍手と声援を送ります。それはそうでしょう。最終関門であるゴールの閉鎖時間は、3時30分。そのときはまだ3時28分だから、私のことを第36回青梅マラソンのラストランナーと思ったとしても不思議はありません。観衆のみなさんを欺こうなんて思っていませんよ。ただ、完走したかっただけなんです。私は、観衆と大会スタッフの皆さんに「終わってますから。」と叫びながらゴールラインへ飛び込みました。タイムは、3時間28分47秒。公式に認められない個人的な完走タイムです。


<完走証、この紙が欲しかった。>
 
 第36回青梅マラソンは終わりました。私は、翌日から3日間ふくらはぎが痛くて まともに歩くことができませんでした。おそらく参加した殆どの人が、同じように筋肉痛で足を引きずって歩くのでしょう。いや、ひょっとしたら、完走すると痛みを感じないのかもしれない。それを確かめるために私はまた走り始めなければならない?。

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