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最初の
一歩

2001/03/05
大ケヤキの上で空師になる


 仏師、魔術師、木地師、牧師、詐欺師、指物師。師のつく言葉があります。師という言葉は、それを職業としている人という意味です。仏師は、仏像を作る職業の人。魔術師は、魔術を使うことを職業とする人。牧師は、牧場で迷える子羊を導くことを職業にしてる人。全部説明している時間がないので後は省略します。
 そんな師の付く職業の人の中に「空師」という人がいることをご存じですか。空という字から、空に関係する仕事、飛行機のパイロット、違います。空に近いところで働く人です。つまり、木の上に登って枝を払ったり、あるいは、幹を伐採する人です。似た職業に「鳶(とび)」の人たちがいますが、この人たちが建築現場専門なのに対して、「空師」は、木が専門です。木に登って枝を落としたり、木を伐採したりするので、造園業や林業の方、あるいは製材所の人にそういった人が多くいます。
  空師の空師たる所以は、高いところで手鋸やチェンソーで木が伐れ、伐った枝や幹を意図したところへ降ろすことができる。そして、木そのものを思い通りの場所に倒せることです。だから、山の中や広いところで木を伐っても空師の晴れ舞台とはいえません。高さが10m以上あるような木の周りに家が建っていて、電線が枝の間を走っているような条件でこそ、空師の腕の見せ所です。
 さて、2000年3月私は、空師になりました。稲城市で80年以上経つ大ケヤキです。空師の難易度でいえば超簡単の部類の場所ですが、木の大きさは、超一流です。
 
  3月27日稲城市Fさん宅の大きな欅を切る。根元の直径が3尺、胴の部分が6メートル。枝は四方20メートルに広がった大きな欅である。朝、6時前にアパートを出て、なんと6時30分には、現場に着いてしまいました。途中 安全ベルトを購入しておきたかったが、朝一番では金物屋も始めていない。外で準備をするのも寒いので車の中で仮眠を取った。M木材のMさんが、8時前に到着。欅の根元の2階屋に住んでいらした老夫婦に挨拶をし、家と欅とその周辺に、工事の安全と土地と木へ人の手を入れることへの謝罪を込めて、お祈りをする。おばあさんは、バケツのような入れ物3つに、「米、大豆、塩」を盛り、家と土地と樹にお払いをしました。80年近い樹が切られるのである。この土地の神様は、少なからずいい気持ちでは無いと思う。私自身も清酒をいただく。
  一通りのお払いとお祈りが終わると、準備にかかった。周りの雑多なものを片づけて、私は、チェンソーを目立てし、燃料を確認する。さあ、登ろうかという時になって、「梯子が無いよ。」ということで この近くのMさんの知り合いの土建屋へ借りに行く。空師なら、縄1本でエンヤコラと登るのですが、Mさんも70を越えた高齢で今は道具を使って木に登ります。私は、見習いだから、縄1本では、登れません。
  さて、アルミの4メートルほどの梯子を掛けて、最初の枝へまず登る。下から見るのと登ってみるのでは大違い。足がすくんで樹の枝から手が放せなくなる。Mさんは、私のことをいつも「先生」と呼ぶ。全く皮肉な呼び方である。「先生。命綱何メートルほど要る?」とMさんが木の下から聞いてくる。M流木登りの唯一の安全対策は、その場でロープを切って、そのロープで体を木にくくりつけて使用することだ。道具にこだわる島津としては、いささか物足りなく不安ではあるがこれで十分ともいえる。ロープを4メートル切ってもらい、片方を自分の腰にくくりつけ もう片方を枝や樹の胴にくくりつけ 万が一足を滑らせたり 樹にはね飛ばされて落ちたときに備える。
  まず、一本目の枝を切り落とす。あらかじめ登り降りの為に木の上から下へ十分な長さのロープを 上の枝から折り返すようにしてロープが掛けてある。このロープは、絶えず自分の位置よりも上の枝に掛けておくようにする。その一方にMさんがチェンソーをくくりつける。それを私は、上から引っ張り上げて使用する訳である。そのロープの片方は、チェンソーにくくりつけたままにしておき、下にあるもう片方をチェンソーをきりまわすだけの余裕をロープに持たせて 何かにくくりつけておくわけである。こうすることで、伐っている途中でチェンソーを手放してしまったり落としてしまっても地面まで落下せずに安全というわけだ。今回は下の枝から切っていった。一本目の枝は、わりと水平に伸びた枝である。枝の下に少し切り込みを入れる。このように切り込みを入れることを「口を切る」という。その口よりも、上または先を切っていく。「とにかく、最後まで力を緩めずに切れ。怖くなって途中で切るのをやめると上の人間も下の人間も危ないからな。」  おっかなびっくりの私は、上から手で「ここ?」「ここ?」と何度も切る場所をMさんに確認する。その度にMさんが、指でオッケーサインを出す。「やるしかないな。」私は、チェンソーのエンジンを掛ける。スターターロープを引っ張るだけでも、木の上では思うように引っ張れない。エンジンスタート。最初の口は、どれぐらいの深さで切るのか、そして、口からどれぐらいの位置を切るのか。一つ一つを下のMさんに手と目で指示を仰ぎながら切っていく。口を切り、枝を切り始める。最初、枝は何の問題もなく切られていく。チェンソーの歯が3分の1を切り終えたあたりから、枝が下へ落ち始める。このときに怖くなって切るスピードを緩めてしまったり、力を抜いてしまったりするのだ。そうすると枝が真ん中で裂けてしまったり、皮が切りきれなかったりするのである。私も、枝が下へ傾き始めた時、一瞬チェンソーを止めたくなるような怖さと驚きに襲われた。それでもなんとかエンジンの回転だけは、下げないようにした。しかし、回転が問題なのではない。木が動き始めてからは 力を入れて、木が落ちるスピードよりも速く木を切っているかどうかが問題なのである。傾き始めた木と同時に木が切られていかないと 木が前へ飛び出さずに、つっかい棒をしたように、切ったところから、垂れ下がってしまう。「うまく切る」とは、枝が落ちる力をうまく使って枝が水平に前に飛び出すように落ちていくように切ることなんだけれど、一本としてそんな風に切ることができなかった。最初の2〜3本は、足場も見つけやすく切りやすいのだが木の上に行くに従って 足を掛ける枝も無くなり、不安定な体型で切ることになる。上の枝に登るにしても、登り方が分からない。空師は、地下足袋とロープ一本ですいすい登るのだろうが、私は腕と足の脹ら脛で木にしがみついて芋虫のように登る。お世辞にもかっこいいとは言えたもんじゃない。上の枝へ行くにつれ、足ががたがたと震え始める。チェンソーのエンジンを駆けようとしても、腰が引けてしまって力が入らない。「もう、後戻りできないんだぞ。自分でやりたいといったんだろ。さっさと切って、終わりにしようぜ。」「落ちたって、死にやしないさ。紐が付けてある。逃げればいいんだよ。」何度もそう言い聞かせた。この状況では、やめるにやめられないのである。
 どの枝もつっかい棒のようになりながらも、何とか切ることができたけれど、家の屋根にかかった幹の先の部分を切ったとき、屋根の上に落としてしまい あげくにその先が隣の家の庭と畑に落ちてしまった。これは、今日一番の太さと量を持った幹だった。その幹を下からロープで屋根のない庭の方へ引っ張っておいて庭の方向へ落とすという 何とも職人芸としかいいようのないことをMさんはやれというのだ。この技は木を切るときにチェンソーの位置をゆっくりと変えながら切るのだけれど、そんなことやったことのない私は、途中でチェンソーを木に挟んでしまい、位置を変えながら切るなんてことが もう頭からすっかりきえてしまうほど、あわててしまったのである。木の下からMさんが、「クラクションを鳴らしたら、切るのをやめろよ!」と言うけれど、クラクションさえ聞こえやしないのである。
 そんなこんなで、枝を切り落とし、いよいよ胴を切り倒す。この木の根元は出っ張ったところで、1.5mぐらいある。その出っ張った所をチェンソーで切り取って丸くした。。庭の方へ倒れるように口を切る。Mさんは、「なるべく下を切れ。口も薄く切れ。」といいながら、自分で口を切ってしまった。私が木の上に登ってロープを掛けた後、トラックで引っ張っておいて 切り始める。最初に切った口の反対側から口の少し上をめがけて切り進め、後は、トラックで引っ張ると、庭めがけて80年の大木が倒れていった。初めての空師の仕事は、こうして終わった。
 
 なぜ私は、空師になったのか。それは、この木をもらうためである。木を倒した後、運搬のためにクレーン付きトラックをレンタルし、積み込むのに苦労し、枝を片づけ
へとへとになりました。
 私は、木のためなら、空師にもなります。
 

 

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