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 ホームページをアップして1年半が過ぎました。最近はアクセス数も 横ばいの状態で 木の話ばかりで少々マンネリと感じているのは 私だけではないはずです。さりとて、ヨーロッパ一周彫刻探訪の旅に出て 現地からライブで記事をお届けするほどの余裕は毛頭なく ここは一つ趣向を変えて 包丁無料研ぎ研ぎプレゼントを付けて「研ぐ」を書いてみようと思います。しかも川柳で話を始めれば ますます趣向が変わるというものです。
さっそく「川柳 研ぐ」でインターネットを検索するとこんな川柳が見つかりました。
「月の夜に 君を恋して ナイフ研ぐ」
 この川柳を言葉通りに読んでいては 話は先へ進みません。この作者のいうナイフは 実はナイフじゃなく、また「研ぐ」は完全な比喩で まったく別の行為でしょう。しかもこの作者は女性なので 「月」にも意味がありそうです。こんな風に言葉の意味を一つ一つかみ砕いていくと ちょっとつやっぽいことを詠んでいるのがわかります。
 さて「研ぐ」といえば 誰もが刃物を思い浮かべると思うのですが 「研ぐ」という言葉には「研鑽・修練」と言う意味もあります。この川柳の場合は「月の夜 彼と共に過ごす時間を思い浮かべながら 感覚のイメージトレーニングというか 自己鍛錬に励んでいるのよ」と詠んでいるのでしょう。あるいは「ナイフ」は肌・皮膚で 彼のためにその肌を磨き上げているということかもしれません。
 ところで 研ぐという行為は 研いだからといってそれだけで結果が出る訳じゃなく、その研いだ刃物で肉を切ってはじめて研いだ成果が得られます。だからいくら時間を掛けてその刃物を研いだとしても 刃物がものを切るまでは 研いだ成果は0です。さっきの川柳の「研ぐ」も同じことで 彼と共に過ごしている時に自己鍛錬の効果が表れてこそ 始めて自己鍛錬した意味が出てくるわけですが 自己鍛錬のしすぎで疲れてしまって 肝心なときに寝てしまってはまったく意味がありません。研ぐという行為にはそういう側面があり そうなってしまったら 研ぐは出口の見えない自慰行為になってしまいます。だから研ぎすぎには十分注意しなければなりません。さりとて刃物も肉体もそして精神も 使い続ければ鈍ります。だから時々は研がなければならないのですが。
 ともかく、私は木を彫っていますから 自分で使うノミは 彫る前あるいは彫っている途中に頻繁に研ぎます。さて このように改めて研ぐということについて考えると はたして私が研いだと思っているそのノミは 本当に研げているのか疑問になってきます。自慰行為なんて言葉が出てくると ますます不安です。なるほど研げば刃先はピカピカになり、そこに指先を当てると指の皮が浅く切れます。しかし 切れる刃は切る物を吸い寄せるといいます。もし私の研いだものが本当に研げているなら 指なんて近づけられないのではないだろうか。
 いつも最高の切れ味に研ぎ上げていると思っているのは 実は私だけで 本当はそれほどでもないのかも。私の仕事場には 私しかノミを研ぐ人がいないので 木は私の研いだノミの切れ味を 他と比較することができません。ところがもし 制作中の木が夜中にこっそりと抜け出して 藪内佐斗司(この作家の刃物は切れそうだ。)の仕事場に忍び込み そのノミで身を切らせ 味わったことのない満足感を得てしまうなんてことになったら・・・。木だからそんなことはないようなものの 男と女の場合は 得てしてそういう話がありそうです。
 そうならないためにもたまには ちょっと気取ったレストランで食事をしたり、さりげなくプレゼントをしたり・・・。男女の話じゃなくて 研ぎの話し。たまには鍛冶屋さんや同業者の仕事場を訪ねたりして 他人の研ぎ方を見てみる。あるいは新しい道具、いい砥石に目を向けてみたり 図書館やインターネットで刃物の構造や素性、刃先角を研究し直し 実際に研いでみる。しかしそんなことをしていたら、1日2日なんてあっという間に経ってしまい いったい彫るために研いでいるのか、満足する研ぎを得るために研いでいるのか解らなくなってしまいます。
 ところが世の中には これと全く正反対の人も存在します。刃物?。切れれば何だっていいんじゃん。切れなければ 力まかせに叩けばいいじゃん。それで道具が壊れたら その道具の素性が悪いことにしてしまう。でも現代は その方が当たり前かもしれません。やはり研ぐのは時間もかかるし面倒なものです。 
 そもそも研ぐ人の代名詞大工さんが 刃物を研がない時代です。カンナで柱を削らなくても ノミでホゾ穴をあけなくても家が建ちます。大工さんはマルノコで材料を切り その材料を インパクトドライバーを使って 木ネジで止めるだけ。今どき自分で刃物を研ぎながら仕事していたのでは 約束の日までに家が建ちません。それより何より 道具がどんどん機械化され 刃物の種類が変わってしまいました。一体どんな刃物を使っているのかと思ったら、最先端は人工ダイヤの刃先だそうです。そういう刃は専門的な設備がないと研げないので 全部外注です。自分で研ぐわけではないそうです。
 大工さんがそうなのだから 自分で刃物を研ぐ人なんて もう少数派に違いありません。とは思うのですが 家庭の台所はどうなのでしょうか。毎朝、みそ汁を作るために大根を切る。ネギを刻む。豆腐をサイコロに切る。夏は大きな西瓜を切らなきゃいけないし、今の季節なら白菜や里芋が待っている。それにお歳暮に届いた新巻鮭は すぐに出刃包丁でさばいてしまわないと。(そのままにして置いたらどんどん塩が回って塩っ辛くなってしまう。)包丁は一日として休みがないはずです。当然定期的に研がないと すぐ切れなくなります。と ここまで書いて 目の前の台所を見てみると さてどこに新巻鮭を丸ごと一本のせるスペースがあるというのでしょう。これじゃ包丁云々以前に新巻鮭は厄介者です。そういえば、スーパーの肉や魚は ほとんど切り身で売られています。まてまて。肉や魚だけじゃない。文明堂のカステラ、スライスチーズ、6Pチーズ、サトウの切り餅に虎屋の羊羹。人間だって始終切れています。切れているだけじゃ物足りなくて 一つ一つ包んであったりもします。ジーパンやスカートも切ってある。こんなに いろんなものが切ってあるのでは ナイフや包丁は 切れる必要がないばかりか それを使う必要すらありません。丸ごと売られている野菜で 白菜なんかの大きなものでも 肉や魚に比べたら 切りやすい。だから包丁の切れ味は それほど気にしなくてもいい。ひょっとしたら 切れるとか切れないということも 最近の台所では意識しなくていいのかもしれません。こんなふうに書くと まるで私がいつも意識しているような書き方じゃないかと 思われそうですが、そうなのです。私はいつも意識していて、切れないと思ったら すぐに研ぐのです。さて、ここでちょっと自慢話を。よく料理をされる奥様が私の研いだ包丁を使うと 必ず指を切ります。嘘だと思うならメールください。研ぎ賃無料でお研ぎします。ただし磁石がひっつく鉄の包丁に限らせていだたきます。そして本当に指を切ったら 作品を買ってください。
 オッと、話がそれてしまいました。家庭の台所と同様に 外で果物の皮をむいたり切り分けたりする必要も まったくありません。喉が渇いたら自販機で缶ジュースを飲めばいいのです。ナイフを持ち歩くこと自体が 犯罪です。とにかく飛行機には乗れません。でも 私はカバンの中にナイフを持ち歩いています。いえいえ、人を脅したり威嚇するためではありません。アウトドア用多機能ナイフで ワイン抜きや缶切りが付いているものです。これを携帯しているとワインやチーズ、おいしいベッタラ漬けを買って その場で宴会が始められます。時代錯誤のようですが あえて書きます。例えば あまり親しくない女性と同席したとき そこにたまたま ラ・フランス(洋なし)を持ち合わせていたとする。しかしその場所には炊事場も何もない。そんな時ナイフを取り出して きれいな紙の上でそのラ・フランスを切り分けられたら 女性との距離もグッと縮まる・・・なんてことはないか。そんなことより 私がいまだにそういうワイルドさで 女性の気が引けると思っていることの方が 時代錯誤かな。
 さて このような状況は 日本だけなのでしょうか。ここに一つ ナイフ文化のヨーロッパの状況を物語るエピソードを一つ紹介します。ヨーロッパのある国の石彫シンポジウムに参加した人の話なのですが そういうシンポジウムは 参加者が制作現場で生活を共にしながら 石彫を彫ります。生活するのだから、料理をするわけで ヨーロッパの人はナイフで食材をさばきます。ある女の子が使っているナイフが切れにくそうだったので その人がお皿の裏で ナイフを研いであげたそうです。その女の子は最初喜んで使っていたのですが、よほどよく研げていたのでしょう。女の子は指を切ってしまいました。すると彼女はその人に文句を言い出したんです。「おまえが余計なことをするから 指を切ったんだぞ。研いだおまえが悪いんだぞ。責任取れよ。」
 その人は言い返したそうです。「ナイフは切るためにあるし、切れるからナイフなんだ。それで指を切ったからといって 研いだ人のせいにするのはおかしい。」と。
 私はこの話を思い出しながら、日本に限らず世界中で 刃物の切れ味が落ちてきているんだろうなと感じたわけです。
 要するに今という時代は 突然洋梨の皮をむくようはなし 皿の裏で刃物を研ぐ必要もさらさらない。何でもかんでも すでに切ってあり 刃物を持ち歩かなくていい時代です。できることなら 誰にも刃物を持ち歩いて欲しくないという風潮すら感じられる。しかしだからといって刃物の必要性が まったくない訳じゃない。印刷物の必要な部分だけ ちょっと切り抜いたり 段ボール箱を開ける為に 切れ目を入れるなど 普段の生活に切る仕事はまだまだあります。でも そういう仕事はカッターナイフで 十分間に合います。カッターナイフが一本あれば 紙や布は勿論のこと、誤って指を切ることもできます。ただ竹とんぼを作るのには 向いていません。刃がすぐ折れてしまいます。あ、また時代錯誤なことを言ってしまった。今どき竹とんぼを作る人がどこにいる?。とにかくカッターナイフが一本あれば大抵のことは用がたり 切れなくなれば 刃を替えればいい。それも面倒くさければ 新しいカッターナイフを100円ショップで買えばいい。このような状況では 生活の中に研ぐ行為が残っているはずがありません。(いや、唯一米を研ぐという「研ぐ」行為が残っている。) 
 ところで、こんなにも切ることや研ぐことの必要性の無さを並べ立てて、私はいったいどうやって 「研ぐこと」をまとめようというのでしょうか。
 まてまて。今から反撃開始です。
 文明の進歩は 人間の生活をどんどんと変えてきました。電車も自動車もなかった時代の人の行動範囲を思うと 今は地球上のどこへでも行くことが出来ます。同じように磨製石器で動物の肉を引き裂く切れ味を思うと 今の包丁は どんな包丁でも最高の切れ味です。私たちはこのような文明の便利さにどっぷりと浸っている一方で 経済性や機能性のために 合理化、機械化、分業化その他のいろんな「○○化」に 浸食されています。しかしそういった弊害を甘んじて受け入れられるのは 人類がいつの日か すべての労働から解放され 有り余る時間の中で豊かに暮らせると信じているからこそ?です。そして現実に今 合理化によって 多くの人が労働から解放されています。
「ちょっと待て!。それは解放じゃなくて、解雇なの。」
 まあまあ。文明の進歩や人類の発展による弊害については またの機会にじっくりと考えましょう。私はそのような弊害を 決して肯定するものではありません。しかし今はこの話の中で 「研ぐこと」が楽しくそして面白いという内容にする方が 先決です。
  
 さて、その合理化によって生まれた有り余る余暇の時間に 人は何をするのでしょうか。何もせず 文明の進歩がもたらす便利さを そのまま享受し続け 頭と目だけが発達し 足と手が退化した いつか見た想像上の火星人のような姿になっていくのでしょうか。いや そうでもなさそうです。例えば 今の都市生活では 長い時間歩いたり走ったりする必要などないにもかかわらず 人は時間を作って散歩したりジョギングしたりしています。それが高じて ハイキング、登山、マラソン、トライアストロンを始める人がいます。つまり 有り余る時間を 人は趣味によって生きていくことになるのです。そしてその時間が増えるに連れ その趣味は高じていくようです。
 一方、労働時間は更に合理化・分業化・機械化が進んで 減少の一途をたどります。そうなると職業は もはや人の個性を発揮する場ではなくなってしまい 人が人でいられるのは 趣味に没頭しているときだけになってしまうのです。すると世の中の仕組みや制度も がらっと変わってきます。
 今の学校教育は 将来どんな職業に就くかということを前提に 行われているようなところがありますが、未来の学校教育は 将来どんな趣味を持つかということを前提に 行われるようになります。ビジネススクールなんかも ホビースクールと改められるでしょう。私は根拠のないことを言っているわけではありません。すでに「ものづくり大学」が創設されたではありませんか。あれは将来 趣味の殿堂と呼ばれるのです。
 さあ、趣味の時代の到来です。そこには機械化も分業化も合理化もありません。時間はたっぷりとあります。するとどういうことになるか。例えば料理に興味を持ち 自分であれやこれや料理を作り始めた人がいます。そのうちその人は ただ料理を作るだけは満足できず 道具にこり始めます。当然包丁やナイフを選ぶようになります。そうなれば それを自分で研ぐようになるのは当然の成り行きです。日曜大工も同じです。または刃物が趣味ということだってあり得ます。あるいは 最初から「研ぎ」が趣味ということもあり得ます。時代は 仕事としての研ぎをなくしてきましたが、これからは趣味としての研ぎが始まります。NHK教育でも「趣味の研ぎ」なんて番組が始まり 包丁の研ぎ方からノミの研ぎ方まで その道の専門家が教えたりすることになる。あるいは研ぎに関するいろんな道具が テレビショッピングで紹介されたりするのです。例えばこんな風に。
 
 さて、今日ご紹介するのは あなたを刃物研ぎのとりこにしてしまう そんな一台です。「最近 料理にこり出して 包丁をよく使うんですが、ちょっと切れ味が」というあなた。「最近 鎌倉彫を始めたんですが 彫刻刀の切れ味が落ちてきて」というあなた。あるいは「友だちと一緒に洋裁を始めたのだけれど、裁ちバサミの切れ味がどうも。」というあなた。そんなあなたにピッタリの一台がこれ。日立工機のベルトグラインダーBGM50改です。「え、砥石じゃないの。」と思った方、ちょっと待ってください。刃物研ぎには いろんな研ぎ方があります。水砥石で研ぐだけが 刃物研ぎだと思っているあなたは 趣味の世界を狭くしています。それに水砥石だけで研ぐのは やはり時間が掛かるもの。趣味の時代といえども 刃物研ぎばかりに時間を使っていられないという方も まだまだ大勢いらっしゃる。それにこのBGM50、機械だから簡単に研げると思ったら 大違い。水を使っていないから 扱い方を誤ると 刃物がすぐ熱を持ち 焼きが戻ってしまう。つまりかなりの熟練を要します。この熟練という言葉がまたあなたの趣味ごころを刺激する。
 あの木彫作家シマヅヨウが 100本近いノミを研ぐのに使ったのが このBGM50改です。研ぎ方はいろいろ。まず内丸ノミならどんなサイズのノミでも 50mm幅のベルトグラインダーで ノミをその曲面に合わせて動かしながら研いでいく。同じ所ばかり押し当てていると ノミの曲面が崩れたり 刃の焼きが戻ってしまうのでご用心。その後、ベルトグラインダーの反対側に取り付けた回転パフ(本来はカバーと砥石が付いていますが、カバーは取り外し 砥石の代わりにウールバフを取り付けます。)に「赤棒」と呼ばれる研磨用ワックスをつけながら 仕上げ研ぎ。更にその後 アタッチメント(トリルチャックをつけることができ ここにもう一つ 別のバフをつける。)に取り付けた布バフで刃の裏のバリをとったら 出来上がり。
 外丸ノミは ちょっと複雑。まずサンディングベルトを縦に切り 5mmや10mmの幅の狭いベルトを用意する。その細いベルトに曲面の内側を当てながら研ぐ。今度はアタッチメントに細い回転バフを取り付け やはり赤棒を使いながら 内側を仕上げ研ぎ。その後 本体の回転パフで外側のバリをとったら出来上がり。この細いベルトを使えば 刃の曲がった剪定ばさみも研げてしまう。
 刃物研ぎに飽きた時は 部屋の電気を消して 鉄のかけらをベルトに当て 出る火花を見ながら線香花火気分なんていうのも なかなかの趣味人です。


 とにかく いろんな幅のサンディングベルトと 安全基準を無視した違法な改造で どんな刃物でも研げてしまうこのBGM50改を 今回このホームページを見てくださっている方だけの 特別限定価格7万円。7万円でお届けします。更に今ならお正月特別キャンペーンにつき 5mmと100mmのサンディングベルトをそれぞれ2本ずつお付けします。もちろん、「時間はたっぷりある。自分で改造するぞ。」という方は ホームセンターへGO。その方が 断然お得です。ただし、安全確保は自分でしっかりとね。とにかく今すぐメールを。♪おメール、お待ちしていまーす♪。
 
 いやー。良かった良かった。めでたし、めでたし。こうしてまた人々の生活に 研ぎが復活し 切れ味抜群の包丁を使っている若い新妻が 料理の最中に「あ、」と、か細い声を出す。「どうしたんだ。」と駆け寄る夫。見ると新妻の中指から血が。夫は思わずその指を自分の口に。そしてまたしても新妻が「あっ」・・・。と 昔見たことのあるようなドラマの1シーンが また各家庭で展開されることになるのです。
 ところで 昔と違い今は いくら愛しているからといって 他人の傷口を安易になめないようにしたいものです。傷口は水洗いし よく消毒してテープで固定しましょう。また、よく切れる刃物で切った傷口は 早く直ります。
 
 21世紀も3年目の今年 このような感じで 私は研ぎについて考え そして刃物を研いでいます。
 「それはしゅみですか?。」
 いえ、私は断じて 趣味ではありません。
 

 まさかとは思いますが グラインダーを使って刃物を研ぐのは初めてという方が もしこの文章を読んで この機械で 刃物を研いでみようと思われた時は ぜひ一度メールください。最低限の注意事項をお知らせできると思います。尚、いかなる場合においても 自分の責任において この機械をご使用ください。私はあなたのいかなる事故の責任も 負いかねます。

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