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2003.03.05

 2002年の第36回青梅マラソンにおいて 人生の折り返し地点に差し掛かろうとする39歳の男が 意を決して出場したものの 28.8km地点の最後の関門を制限時間内に通過できず 失格になってしまうという出来事があった。男にとって それは夏休み最後の8月31日に宿題が一つだけ残してしまったような あるいはチャーシュー麺の最後のチャーシューを食べずに店を出てしまったような そんなもどかしさとも無念さともつかない心のわだかまりを残すことになったのだった。そして40歳になった今年 男は、最後の宿題を仕上げ 残った一枚のチャーシューを食べ尽くすべく ある秘策をもって 第37回青梅マラソンに臨んだ。

 15kmや20kmの関門が通過できなかった訳じゃない。28.8kmの関門を1分足りずに通過できなかっただけなのです。いくら速く走る才能に恵まれていないからといっても もう一度挑戦すれば 1分ぐらい何とかなるんじゃないか。健康な人間ならだれもがそう考えるはずです。だからといって 1分だけ速くなるというのも なんだかせこい。ここは余裕をもって10分速く走れるようになることが今年の目標です。カシオのランニングウォッチ757のペースモードで 昨年170(歩/分)だったピッチを180(歩/分)に上げ 絶えずペース音を鳴らしながら走りました。その甲斐があり 12月には15kmを1時間20分台で走れるようになりました。昨年15kmを1時間30分以上掛けて走っていたことを思えば ほぼ目標通り 順調な仕上がりです。このままいけば1月には2回ぐらいマラソンコースを走れそうな感じです。ところがここからがマラソンの奥深さです。ランニングの距離を18kmに延ばしたら その日は疲労困憊で何も出来なくなってしまいます。15kmまでは それを何日か繰り返すと体が慣れて 疲れが残るなんてことがなかったのに 18kmを何回繰り返しても クタクタで いっこうに疲れが取れません。 やはり私の体力では30kmを3時間30分で完走することは不可能なのでしょうか。体力を付けるために いくらトレーニングを積んでも 15kmを越えるとそれが疲労として蓄積されてしまう。15km以上のトレーニングは私の許容量を超えているのです。15kmまではこの体で走れても それから先のゴールまでをいったい何をエネルギーに走ればいいのでしょうか。完走するには 今の体力以外に もっと強力な何かが必要です。

 今年はなんとしても完走したい。その為に 例え仮面ライダーのような人造人間になったとしても・・・。しかしショッカーとのコネがありません。それに今から外科手術を受けていたのでは マラソン当日に間に合いません。薬物使用という方法もありますが いったいどんな薬を飲めばいいのでしょう。薬の効きすぎで ボストンマラソンに招待されてしまっては大変です。ボストンだけならいざ知らず、アテネもということになると 薬物検査ですべてが水の泡です。
 理想は 自分が今持ち合わせている筋力以外のエネルギーを筋力に変換するような方法。例えば長時間運動し続けると 体内に蓄積された脂肪が再び血液に溶けだしエネルギーとして燃焼するというような。あるいはイメージトレーニングや催眠術で自分が完走できる人間になってしまうという方法も無難です。私は前回のマラソンを思い返したり 自分自身を省みながら いろいろな方法を模索しました。そして次の方法を導き出したのです。
 人が抑制や理性から解き放たれたとき そこには生きる為の本能があります。または 衝動、パッション、性とでも言うべきものがむき出しになります。それは人間の根元的なエネルギーであるはずです。そういったものを マラソンで解き放ってやれば それは爆発的なエネルギーになるのではないか。
 では 私の中の衝動、パッションとは何か。それは 何をするにも人と同じでは満足できない 人と違うことをせずにはいられないという自己顕示欲。そして人が笑い、喜ぶのなら 時と場所もわきまえず 何かをせずにはいられないというサービス精神です。なぜそうなのか。今はその理由が問題ではありません。今はこの自己顕示欲とサービス精神を いかに走るエネルギーに変換するかということが問題なのです。
 マラソンにおいて人と違うとは どういうことか。私にとってそれは間違っても1番にゴールすることではなく 人と違う動物になって走ることです。そしてその動物とは 馬です。なぜ馬なのか?。馬になれば いくら元が私でも 人間より速いはずです。それに姿がすでに馬なのだから 馬のように速く走るイメージトレーニングよりも その効果は絶大です。ひょっとしたら、マラソン後半の朦朧とした意識の中で 馬の霊が私に乗り移り その霊が私をゴールへ導いてくれる可能性も否定できません。 
 では どうすれば馬になれるのか。毎日人参と草を食べ続けると 首がちょっと長くなり、顔が面長になって・・・。そういう非科学的な方法ではなく ここは造形作家らしく? マラソン用馬の張りぼてとマラソン用馬の衣装を作りましょう。

 ところで 馬になることは 完走以外に いろんな効果を期待できます。その一つが町の活性化です。青梅マラソンで馬が走れば、沿道で声援を送る人は 驚き喜ぶに違いありません。そして誰もが 青梅マラソンは面白いと思います。そうすれば、また人が集まり青梅も青梅マラソンも活気づく。私はその一翼を担うために馬になるのです。自己満足だと思っていたこの気持ちはひょっとして 地元愛なのかもしれない。
 「地元愛だ。エネルギーだ。」といったって それだけでは馬になる為の強い理由にはなりません。「マラソン?。所詮スポーツだろ。遊びじないか。遊びで張りぼてを作るのにいくら掛かるんだ。」と自分に問いかけると さっきまで威勢のよかった自分も 何となく肩身が狭くなります。ところが これが「仕事」となれば話は別です。狭い肩幅も俄然広くなります。かかった費用はすべて「経費」で落とします。「いったい馬になることのどこが仕事なんだ?」
 説明しましょう。馬に木彫サイトNARIの広告塔になってもらうのです。美術家の広告宣伝なら 展覧会を開いたりコンクールに出品するのが本道なのだけれど 時代はまさに多様化。作品を紹介するためにホームページを開設する時代です。でもせっかく開設したホームページも それを宣伝しなければ誰も見てくれません。つまり馬の体にURLとホームページの名前をプリントして走れば 広告塔としての効果は絶大です。普通の格好をしたランナーのランニングウエアにプリントされた文字なんて 沿道の人は見向きもしませんが 馬ならば みんな注目するはずです。アクセス数が急増すること 間違いありません。
 さあ、これであれこれ悩まず 馬の準備に専念できます。張りぼてと衣装の準備は「制作現場」をご覧ください。ところでこれと平行して 体の準備も必要です。極力軽いものを作るつもりではいても、やはり頭の上にものを載せて走るのです。日々の練習で その分の負荷を掛けて置かなくてはならないと考えた私は 1月からは頭に工事用ヘルメットをかぶり ヤッケを着込んで走りました。その格好は 走る徹夜作業員といった風情です。
 
 昨年は初出場ということもあり マラソン当日が近づくに連れ 何となく緊張もし 前日は開会式を見にいったりして いろんなことに感動したけれど、今年は淡々とマラソン当日が近づいた。ただ去年とは違い 1週間前から力を使う仕事はしないようにしたり、バスターカーボローディングプログラムを実践して スパゲッティーやうどんを食べるようにした。普段食べない間食も存分に食べた。しかしそうやって平静をよそおう心とは裏腹に 体にはいろんな変調があらわれてきたのです。 
 一週間前の土曜日には 凄い下痢で2日間、下りっぱなし。すぐ直るだろうと高をくくっていたら いっこうに治る気配がなく、食べたものが片っ端から出ていく。骨と皮になってしまいそうなので 薬を飲んら、3日目にやっと治まった。
 その下痢と時を同じくして 口の中に口内炎がポツポツと芽をだした。最初は小さなものが2つ。やがてそれが 直径1cmほどに成長し、喋ったりすると前歯に当たってしみるのです。 ランニングのためにビタミンB2やB6が不足しているためだろうと思って チョコラBBを多めに飲んでみたが いっこうに治まる気配がない。マラソンには直接差し障りがなさそうなので 無視することにした。 
 ところがこの口内炎。マラソンを走り終えたら 半分の大きさになっていて 翌日には治ってしまった。下痢や口内炎は ストレスが原因だったんです。心では楽しんでいるつもりでも 人間である肉体は 馬になることを拒み続けていたことを 後で知ることになる。 
  
 前日までは 晴天が続き 当日に天気が崩れることなど考えもしなかった。ところが天気予報は 木曜日あたりから青梅マラソン関係者を逆なですることばかり言っている。衣装の方は 雨だろうと雪だろうと問題ないが 張りぼては いくら防水加工を施したといっても紙とデンプン糊で出来ている。心配しないわけにはいきません。
 当日の朝 天気予報は「1時間あたり4ミリ程度の雨」と言っている。雨の場合を考えて カッパの張りぼても作っておけば良かったけれど 今更作れるわけもない。「どうせ すぐにやむだろう」と私は度胸を決めた。
 午前11時 準備を開始する。まずユニクロのドライパンツをはき、右膝関節にサポーターをきつく巻く。両ふくらはぎに たっぷりとサロメチールを塗りたくったあと 馬の衣装をまとう。準備を整えて外へ出ると 思った以上に寒いので 急所Tシャツ1枚を衣装の中に着ることにした。
 青梅マラソンを10回も20回も走っている人とは比較にならないけれど、それでも2回目ともなると 当日の総合体育館がどのようなものなのか 1万5千人がどれぐらいの人の群れになるのか、体育館にサロメチール塗り放題コーナーが開設されるとか スタート直前までトイレが混み合うとか だいたいのことはもう知っている。だから、今年は体育館を見物する必要はなく スタート地点近くの公園に行き そこで準備体操をする。その時はまだ張りぼてをかぶっていないけれど 私の衣装は スピードスケートの選手のようで ちょっと目立つ。
 さて紙袋から 馬の張りぼてを出し 手に持ってスタート地点へ向かおうとすると その公園に集まっていた中学生ランナーが 「あのオッサン。馬を持っていくよ。あれをかぶって走るんだ。」とささやく声が聞こえてきた。やっぱり馬は目立っている。恥ずかしい訳ではなく ただ意識が高揚していきます。
 ところで2回目だからだいたいのことは分かると書きましたが、1つ昨年と大きく違うことは 雨が降っているということです。雨の日はランナーがどんな格好で走るのか観察してみると いつも通りという人がほとんどでした。その中に、ウインドブレーカーを着る人や 頭と腕の穴を空けた大きめのビニール袋をすっぽりとかぶる人がちらほら見受けられます。ビニール袋は体が温まったら 脱ぎ捨てていけるから重宝かもしれません。ウインドブレーカーでは捨てていくのも気が引けます。くよくよ悩んでいる間に関門が閉鎖されてしまいます。
 スタート地点では スタート10分前に受付をしなければならない。私の心配は 受付で 張りぼてのことを注意され、出場停止になるのではないかということです。だから張りぼてを後ろに隠して受付をすませた。そして受付の役員の視界に入らないところで張りぼてをかぶり 私は完全に馬に変身した。その後も 馬を見た大会役員から 出場停止なり 張りぼての没収なり 何らかの接触があるものとドキドキしていたけれど、結局何も言われなかった。その時のために いろいろな言い訳を用意していたのに。見て見ぬ振り あるいは無視という姿勢である。以前は 仮装して走る人が多くて 大会本部は断固たる姿勢で臨んだと聞いていたのですが。 
 馬になった効果は 直ぐ現れた。スタートを待つ間に いろんな人が声をかけてきます。たいていの人は「その頭 重くないですか。」と聞いてくる。 また「余裕ですね。」なんて言われると恐縮してしまう。余裕どころか 目一杯ですと言っても 誰も信じてくれない。いろんな走り方があるのす。でもマラソンを走ること自体が余裕なのですが。とにかく いろんな人と話が出来るのは 私が馬だからである。
 
 私のゼッケンナンバーは7535。だから今年のスタート地点は昨年よりもかなりスタートラインに近い。スターターは今年も長島茂雄です。2003年2月16日正午、スタートのピストル音が聞こえた。スタートと同時にすぐに駆け足状態になる。そして5分で長島茂雄の待つスタートラインを通過した。スタート位置でこれほどまでにタイムが違うものなのか。昨年よりもすでに3分速いペースである。渋滞することなく 集団はどんどんと前へ進んでいく。
 スタートするとさっそく 沿道から「あ、馬が走っている。」「あ、馬だ。」と、次々に馬への声援が上がる。馬の走るところ 馬の声援のみ。馬は凄い人気者だった。馬を見た殆どの人が 馬に声援を送ってくれます。馬を見た子供なんか 言葉にならないぐらい大喜びする。しかし他のランナーにとっては 耳障りなだけだ。あまりの声援に 周りのランナーが馬にぼやきます。「凄い声援だね。そんなに声援を受けたんじゃ、帰ってこないわけには行かないね。」と。
「うゎー。プレッシャーを掛けてくれるじゃん。」
 行きも帰りも「馬さん、がんばれ」と凄い声援だった。そういう声援を受けながら走っていると 私の中に いちランナーとしてではなく 馬としての自覚がどんどんと芽生えてきます。声援を送る人たちは「声援を送っているんだから、絶対完走しろよ。」なんて気持ちで応援している訳じゃないと思うが、馬への声援というのは、不特定多数のランナーに対する声援ではなくて、青梅マラソンで走っているただ一頭の馬への声援です。その声援を聞き続けていると 馬としてもその声援を真摯に受け止めて その声援に報いなければならないという義務感が芽生えてくるのです。「絶対完走しなければいけないんだ。もし完走できないようなことがあれば 完走できるまで馬になって走らなければならない。」と。
 ところで 馬がどんな声援を受けたかというと
往路では
「お馬さん、がんばって。」
「お馬さん、帰って来いよ。」
「あれはなんだ?。」
「馬ならもっと速く走れ。」
「ハイセーコー、がんばれ。」
「最終コーナーは まだ先だ。」
「午年の男、がんばれ。」(私は寅年である。)
「競馬ファン、がんばれ。」(私は一度しか馬券を買ったことがない。)
「馬になってる場合か?まじめに走れ。」(この人は笑い転げながら、そう言った。)
復路では
「お馬さんが 帰ってきた。」
「こら、そのかぶり物を外しなさい。」(最後の29kmでの役員の言葉。)
などである。
 
 前半の10kmは 集団のペースの速さと 馬であることに忙しくて あっという間に過ぎていった。しかし10km過ぎからは 自分の体を自覚しないわけにはいかなくなる。上り坂はどんどん険しくなり 右膝関節はすでに痛み始め 急な登り坂ではすでに足の動きが鈍い。曲がりくねった上り坂を走りながら 折り返しはまだか、折り返しはまだか。下りになればラクになる。そのことばかりを考えるようになっていた。やっとの思いで折り返しのコーンを回り 15kmの関門を1時41分に通過した。ここの閉鎖時間が1時55分だから、この時点で14分の貯金があることになる。普段のランニングの距離はここまでだ。ここから先は未知の世界である。
 この14分を少しずつ食いつぶしながらゴールを目指します。
 ところで これは馬になったからというわけではなく おそらくパスタカーボローディングの効果だと思うのですが、今年は尿意がほとんど来なかった。と言いつつも2回 草かげて失礼したのですが。それに掛かる時間が1回当たり30秒として 昨年3回だったことを思えば その効果を見逃すわけにはいかない。
 15kmを過ぎて 雨は本格的に降り始めた。頭の上の張りぼては まだコンコンと固そうな音がする。しかし馬の体には最初の疲労感がどっと訪れる。「ちょっと休もうよ。」そんな声が聞こえ出す。馬はウエストバックから栄養ドリンクを取り出し 一気に飲み干した。そしてチョコやビタミンのタブレットをバリバリボリボリとほおばりながら その声をうち消していく。またしばらくすると「もう止めようよ。」とささやく声がする。その度に、「取りあえず、チョコ1個食べてから。」と チョコを口に入れる。口に何か入れ、口を動かすことで 自分を忘れることが出来る。
 
 20kmの関門を2時19分で通過する。関門閉鎖時間は2時28分なので貯金をすでに6分使い込んでしまったことになる。明らかにペースダウンしている。180(歩/分)のピッチに足がついていかない。このままでは今年も・・・。焦る。
「ペースを上げろ。今走らずに いつ走る。関門を通過できなくなってからでは遅いんだ。今、走れ。足、上げろ。足は、ただ痛いだけ。まだまだ動かせる。そう、私は馬なんだ。」
 20km地点を過ぎると また沿道で声援を送ってくれる人が増えてくる。「あ、馬が帰ってきた。」といわれると、俄然力が湧いてくる。セントフローレンス教会の前で、雨の中 声援を送り続けている3人の花嫁や へそ万で3時間30分太鼓をたたき続ける和太鼓集団の前を通過すると 私は完全にランナーズハイになり 拳を振り上げ 雄叫びを上げずにはいられなくなっていた。
 25km関門が近づくに連れ 役員が「関門閉鎖まで、後3分。」「後2分。」などと言い始める。私は焦り 馬の足に更に鞭を入れる。役員が「あと1分」とせき立てる。広報車が「25km関門閉鎖時間は2時55分です。後1分です。」と更にランナーを煽る。この関門は上り坂の途中にあるのだけれど、だからといってペースを落としている場合ではない。関門を通過した時刻は 2時54分だった。少なくとも8分あったはずの貯金をこの5kmでほとんど使い果たしたことになる。これは、昨年より遅い通過タイムだ。
 関門を通過した選手に広報車が、言っている。「関門を通過しました。もう関門はありません。後は30km地点のゴール目指して走ってください。」確かにそう言っていた。私は念のために広報車に向かって聞いた。「市役所前の関門は無くなったのか?。」役員は確かにうなずいた。それにしても この嘘のアナウンスがなければ 後10人のランナーが完走できていたはずである。その理由は数行後を読んでいただければ分かります。
 市役所前の関門が無くなったとはいえ 今、ここでペースを落としたら、ゴールの関門が危ない。25km地点から先は いつもランニングで走っている場所である。どの地点が何kmかも良く知っている。残り時間は35分。市役所前の関門があろうと無かろうと 1kmを7分以内で走らなければ、完走は無理である。走れ、走れ、今走れ。上げろ上げろ。足上げろ。そういって馬に鞭を入れると、馬は足を高く上げ ペースを上げることができる。まだ、走れるじゃないか。
 雨はザーザーと降り、頭の上の張りぼては 体の動きに合わせてブヨブヨと動いているらしい。衣装は雨をたっぶりと吸い 体に張り付いている。だからといって、寒い訳じゃない。
 青梅駅前を 馬は走る。声援に応えて、奇声を発する。1歩たりともペースを落とせないこの緊張した状態に 馬は昇天してしまったらしい。自分をまくし立てるように「エッサ、ホイサ。ホイ、ホイ、ホイ、ホイ。」と大声を発しながら商店街を翔ていく。
 28km地点を過ぎて、3時15分。1km7分のペースを保てている。青梅信用金庫のクランクを曲がり 東青梅駅前を通過。するとなぜかまた役員が騒がしい。
「関門閉鎖まで後3分。」
ふざけるな!。これでは去年と同じではないか。去年の悪夢が頭に蘇る。馬は役員に叫んだ。「25km地点で市役所の関門は無いと言っていたぞ。」
しかし 役員に馬の言葉など理解できるはずもない。
「関門閉鎖まで後2分。」役員はストップウォッチのように時を刻むだけだ。
私は馬の足に更に鞭を入れる。「もっとだ。もっとだ。もっとだ。もっとだ。」
「後1分。」「後30秒。」
 役員のその声に、
「ああ、今年もまた完走できないのか。2年続けて完走できないなんて 私は人生の落伍者だ。その烙印が今押されるんだ。馬の格好なんかして・・・。」
そう思いながら市役所前の歩道橋を通過したとき、私の後ろで役員の声が聞こえた。
「ハイ。閉鎖!。」
その声は確かに私の後ろから聞こえた。
私は、28.8kmの関門を今通過したのだ。さっきまで目の前に広がっていた暗雲が急に晴れ まるでモーゼが海面を裂いたかのように 私の前にゴールへの道がひらけた。
「ああ、ペースを落とさずに走っていて良かった。去年のあの時から私はこの瞬間のために走り続けてきたんだ。」

 残り1.2kmを10分で走りきるのは それほど難しいことではない。馬は2年の歳月を振り返り ほぼ完走を手中に収めた喜びを一歩一歩踏みしめながら歩を進める。
 ヤサカの交差点を右折すると 最後のランナーを待ちわびる観衆が 一斉に馬に拍手を送る と思ったら、ゴール前の観衆は 馬にはほとんど興味を示さなかった。私は ただの張りぼてをかぶった人としてゴールした。2時間28分23秒。昨年より20秒早いタイムだった。これでやっとマラソンを止められる。
 走り終えた時 頭の上の張りぼては ブヨブヨにふやけていた。馬も相当疲れたに違いない。上塗りのアクリル絵の具の表面に 水疱瘡のようなプツプツとした発疹が無数に出来ている。中は防水加工を施さなかったので 和紙がボロボロと剥がれ落ち始めている。 「ありがとう。」私は崩れそうな張りぼてをいたわりながら そっと頭から下ろした。

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