個展会場で人と会話し そして人がいないときには作品と対峙して 毎日 制作のことを考える。私はどこへ行くのか?私は何がしたいのか?
引き続き木の時間を追いかけたいと思う。私の身の回りには 風化し始めた木片がゴロゴロと転がっている。あるいは 先日の小平の畑の株のように 至る所で木は朽ちて土に帰っている。
ただそれは 自然の現象である。作品化出来るのだろうか? どのような表現が可能なのだろうか?
京橋の裏通りの骨董ギャラリーの前に鉄木の古木が置いてあった。その表情。存在感。
私はこれを作るの? 作らなくてもそこにあるではないか?
私は 一体何がしたい?
表現として いかにそれを表出すればいいかを考える。
それにしても なぜこれに感銘を受けるのか? その受容体は何なのか?
とりとめもなく考える。 |