これまでに作った3点の株を並べた。単なる根っこになっていやしないか?
時間というコンセプトが感じられないのではないか?
当初の予定では 作品は着色する予定だったが、こうやって作品を並べて木のプレーンな表情を観ていると 色の必要性 あるいは欲求が失せてくる。
今回は完全なプレーンな素で見せると言うことも有りのような気がしてくる。
木が作る形、中の時間。自然、木に対する人の観念、形、表情
営みの時間をいかに視覚化するか?
表情、様々な表情が目に飛び込んできて木、自然という観念に結びついてしまうが 実はそこに存在するのは木の時間が空間となってそこに存在するのだ。
この空間は 20年間木が土を押し除き続けた空間である。
そのコンセプトを表現するために表現を固定化せずに いろんな方法で表現を試みる。大きな作品の下には鏡を置いたらどうだろうか?株本来の状態だ見えて面白そうだ。
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